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モネ

19~20世紀初めのフランスの印象派を代表する画家。『印象・日の出』1874が「印象派」の出発点となった。

 Claude Monet 1840~1926 印象派を代表する画家。少年時代を港町ル=アーブルですごす。18歳でパリに出て画家になり、ほとんど独力で新しい画風をつくりだし、1874年に仲間のルノワールやピサロとともに官展(サロン)落選者だけで展覧会を開き、『印象・日の出』を発表。それが「印象派」グループの結成の始まりとなった。彼の絵は批評家からは非難されたが、それまでの美術史の流れを変える影響力をもって、近代絵画の出発点となった。

『印象・日の出』

モネ『印象・日の出』
モネ『印象・日の出』1873
 1874年に仲間と開いた展覧会で発表したモネの作品の『印象・日の出』という題名から、「印象派」と言う呼称が生まれた。朝の靄の中に包まれたル・アーヴルの港の風景を描き出したこの作品は、最初は「日の出」という題であったが、ルノワールの弟でジャーナリスト志願だった青年のエドモンが、作品カタログ制作を担当していて、もっと人々の気をひくような魅力的な題名にしてほしいと言い出した。そこでモネがとっさに自分の作品に「印象・日の出」にしたらいいと答えたのが、この歴史的作品名の由来だという。これについては別の回想もあるが、エドモンが題名を「平凡」だと感じたのは、とりもなおさず印象派の画家たちが、何を描くかという主題の問題よりも、いかに描くかという表現の問題に大きな関心を寄せていたことにほかならない。<高階秀爾『フランス絵画史』1990 講談社学術文庫 p.241-242>
作品:『印象・日の出』の他に海辺や森林の風景画を、屋外に出てたくさん描いた。また『パラソルをさす女』(1886)など、光と風を感じさせる作品も多い。晩年はパリ郊外で庭の睡蓮を描き続けた。

光と色彩の求道者

モネ『パラソルをさす女』
モネ『パラソルをさす女 モネの夫人と子供』1875
(引用)モネは、1874年の展覧会でのスキャンダルのためばかりでなく、その作品全体を通じて、最も深く「印象派」と結びついている。もっとも、だからといって、彼は印象主義の美学を意識的に創り上げようとしたわけではない。「自分は小鳥が歌うように描く」と語っていたモネは、何よりも感覚の精妙さを尊び、自然そのものの息吹と一つとなって、無心に制作に没頭した。・・・彼は、若い頃には妻のカミーユをモデルとした人物像(引用者注:その代表的作品が日本の着物を着たカミーユの全身像)を幾つか残しているが、1880年代以降、ほとんど人物を描かず、たとえ描く場合でも『パラソルをさす女』や『舟遊び』のように、微妙に変化する光の戯れを表現するための、いわば口実として利用するだけである。・・・1883年以降住みつくようになったエプト河畔のジヴェルニーの家の庭の池に浮かんだ睡蓮を毎日のように描き続けていた晩年のモネは、まさしく光と色彩の求道者と言ってもよいであろう。<高階秀爾『フランス絵画史』1990 講談社学術文庫 p.241-242>

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書籍案内

高階秀爾
『フランス絵画史』
1997 講談社学術文庫