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アゾフ海

黒海の北につながる内海。オスマン帝国領であったが、1696年、ロシアのピョートル1世が沿岸一帯を占領した。

 ロシアのドン川河口の外にひろがり、黒海につながる、クリミア半島で遮られた湾状の海。黒海沿岸はオスマン帝国の支配下に組み込まれ、河口の港アゾフにはオスマン帝国の砦が建設されていた。ロシアは早くから黒海進出を目指し、そのためにアゾフを陥落させることをねらっていた。ピョートル1世の前にも、その母である摂政ソフィアが2度にわたりアゾフ遠征を行ったが失敗していた。ピョートル1世は1694年、親政を開始すると翌年、まずアゾフ遠征を試みたが、それも失敗した。ピョートルはアゾフ征服のためには黒海側の海上からの攻撃が不可欠と考え、急きょ、外国人技術者を集めて艦隊の建造に着手した。

ロシアによる制圧

 1696年、ピョートル1世は海陸両面からアゾフを攻撃してそれを占領し、1700年にロシア領とした。北方戦争中の1711年、プルートの戦いでロシア軍が敗れたため、いったんオスマン帝国に返還された。その後もロシアとオスマン帝国の攻防の結果、1739年にロシア領であることが認められた。ロシアの黒海方面への進出、いわゆる南下政策の第一歩であった。 → オスマン帝国領の縮小
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