第13章 アジア諸地域の動揺
1 オスマン帝国支配の動揺とアラブのめざめ
Text p.258
ア.オスマン帝国支配の動揺
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A ヨーロッパ勢力の侵出
・16世紀 a オスマン帝国 の領土が三大陸に及び、最大となる。
同時にそのころからb ポルトガル 人のインド洋海域への侵入開始。
・17世紀 c イギリス が進出しインド洋の制海権を握る。
→ 東インド会社の商館をペルシア湾に近いd バスラ に建設。
1622年 イランのサファヴィー朝e アッバース1世 、イギリス東インド会社と協力し
b ポルトガル の勢力をホルムズ島から追い出す。
同時にそのころからb ポルトガル 人のインド洋海域への侵入開始。
・17世紀 c イギリス が進出しインド洋の制海権を握る。
→ 東インド会社の商館をペルシア湾に近いd バスラ に建設。
1622年 イランのサファヴィー朝e アッバース1世 、イギリス東インド会社と協力し
b ポルトガル の勢力をホルムズ島から追い出す。
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B オスマン帝国 の領土縮小
・1683年 オスマン帝国、a 第2次ウィーン包囲 に失敗。オーストリア軍に敗れ、後退。
→ オスマン帝国の衰退の始まり。
・1699年 b カルロヴィッツ条約 :c ハンガリー ・トランシルヴァニア・
スロヴェニア・クロアチアをd オーストリア に割譲。
→ オーストリア、多民族国家として東ヨーロッパでの強国となる。
→ オスマン帝国の衰退の始まり。
・1699年 b カルロヴィッツ条約 :c ハンガリー ・トランシルヴァニア・
スロヴェニア・クロアチアをd オーストリア に割譲。
→ オーストリア、多民族国家として東ヨーロッパでの強国となる。
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Text p.259
C ロシアの 南下政策 の展開 17~18世紀 オスマン帝国領の黒海北岸に迫る。
・1696年 ピョートル大帝 黒海の北につながるa アゾフ海 に進出
・補足:18世紀前半のオスマン帝国
・1774年 ロシア(エカチェリーナ2世)と▲b キュチュク=カイナルジャ条約 締結。
→ クリム=ハン国の支配権を放棄し、黒海でのロシア商船の自由航行権を認める。
1783年 ロシア、c クリミア半島 を併合。
→ クリム=ハン国の支配権を放棄し、黒海でのロシア商船の自由航行権を認める。
1783年 ロシア、c クリミア半島 を併合。
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アジア・アフリカのオスマン帝国内の民族の自立を求めるd 民族主義 の運動強まる。
→ 18~19世紀、南アジアのインド、東アジアの中国でも民族の自覚が始まる。
→ ヨーロッパ資本主義国の植民地獲得の動きも強まり、 アジア諸地域の動揺 続く。
→ 18~19世紀、南アジアのインド、東アジアの中国でも民族の自覚が始まる。
→ ヨーロッパ資本主義国の植民地獲得の動きも強まり、 アジア諸地域の動揺 続く。
イ.アラブ民族のめざめ
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A ワッハーブ派 の運動 18世紀中頃 アラビア半島で始まった運動
・1744年頃 a イブン=アブドゥル=ワッハーブ 、イスラーム教の改革をとなえる。
→ 中央アラビアの豪族b サウード家 と結びc ワッハーブ王国 を建設。(第1次王国)
内容:イラン人・トルコ人のd 神秘主義 や聖者崇拝をイスラム教の堕落とみなし、
ムハンマドの教えに帰ることを主張。
→ 現在も続くe イスラーム改革運動 の始まりとなり、同時にトルコ人の支配に対する
f アラブ民族の民族的自覚 をうながした。
メッカを占領し、偶像崇拝を一掃。 → オスマン帝国、脅威を感じる。
・1818年 オスマン帝国の要請によりエジプト総督g ムハンマド=アリー が軍隊を派遣。(後出)
→ 王国、一旦滅亡。その後、1823年にリヤドでb サウード家 が王国再建(第2次王国)。
→ 1889年 再び滅亡。1902年 現在のh サウジアラビア王国 として再建。
→ 中央アラビアの豪族b サウード家 と結びc ワッハーブ王国 を建設。(第1次王国)
内容:イラン人・トルコ人のd 神秘主義 や聖者崇拝をイスラム教の堕落とみなし、
ムハンマドの教えに帰ることを主張。
→ 現在も続くe イスラーム改革運動 の始まりとなり、同時にトルコ人の支配に対する
f アラブ民族の民族的自覚 をうながした。
メッカを占領し、偶像崇拝を一掃。 → オスマン帝国、脅威を感じる。
・1818年 オスマン帝国の要請によりエジプト総督g ムハンマド=アリー が軍隊を派遣。(後出)
→ 王国、一旦滅亡。その後、1823年にリヤドでb サウード家 が王国再建(第2次王国)。
→ 1889年 再び滅亡。1902年 現在のh サウジアラビア王国 として再建。
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Text p.260
B アラブ文化復興運動
・19世紀初め シリアのアラブ人キリスト教徒知識人が始める。
= 言語を通じてアラブ民族意識を高める運動で、現代のアラビア語を確立させた。
→ 19世紀末以降のa アラブ民族主義運動 につながっていく。
= 言語を通じてアラブ民族意識を高める運動で、現代のアラビア語を確立させた。
→ 19世紀末以降のa アラブ民族主義運動 につながっていく。
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C ムハンマド=アリーの改革
c ムハンマド=アリー
・オスマン帝国支配下のa エジプト で、自立の要求強まる。
・1798年 b ナポレオン のエジプト遠征
→ オスマン軍のc ムハンマド=アリー が抵抗する。
→ オスマン帝国の主権が回復するも、エジプトの民族的自覚が強まる。
・1805年 c ムハンマド=アリー エジプトの実権を握る。
→ オスマン帝国のカリフからd エジプト総督(パシャ) の地位を認められる。
= e ムハンマド=アリー朝 成立。
→ 旧勢力のf マムルーク を一掃する。カイロの城塞で虐殺する。
・フランスの協力でg エジプトの近代化 を推進。
内容:陸海軍の創始、造船所・官営工場・印刷所の建設、教育制度の改革など。
・1818年 アラビア半島に出兵、h ワッハーブ王国 を滅ぼす。(前出)
→ シリア領有を主張。オスマン帝国との対立強まる。
・1821~29年 i ギリシア独立戦争 ではオスマン帝国側で戦う。
・1798年 b ナポレオン のエジプト遠征
→ オスマン軍のc ムハンマド=アリー が抵抗する。
→ オスマン帝国の主権が回復するも、エジプトの民族的自覚が強まる。
・1805年 c ムハンマド=アリー エジプトの実権を握る。
→ オスマン帝国のカリフからd エジプト総督(パシャ) の地位を認められる。
= e ムハンマド=アリー朝 成立。
→ 旧勢力のf マムルーク を一掃する。カイロの城塞で虐殺する。
・フランスの協力でg エジプトの近代化 を推進。
内容:陸海軍の創始、造船所・官営工場・印刷所の建設、教育制度の改革など。
・1818年 アラビア半島に出兵、h ワッハーブ王国 を滅ぼす。(前出)
→ シリア領有を主張。オスマン帝国との対立強まる。
・1821~29年 i ギリシア独立戦争 ではオスマン帝国側で戦う。
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D エジプト=トルコ戦争 a ムハンマド=アリー 朝エジプトとオスマン帝国の戦争。
・第1次 1831~33年 エジプトがシリアの領有を主張して出兵。
→ b フランス はエジプトを支援、c ロシア がオスマン帝国を支援。イギリスが干渉。
a ムハンマド=アリー のシリア領有を認め一旦終結。
▲1833年 ロシア・オスマン帝国間でd ウンキャル=スケレッシ条約 を締結。
→ ロシア船の海峡通行を許可。
→ イギリス・フランスがロシアの地中海方面進出を警戒し反発。
・第2次 1839~40年 a ムハンマド=アリー エジプト総督の世襲要求。
→ オスマン帝国がシリア奪還を目指して出兵し、敗北。
1840年 e ロンドン会議 → 英・露・墺・普が介入し、フランスを除いてオスマン帝国と協定結ぶ。
= ▲f ロンドン4国条約 :英・露・墺・普が締結
a ムハンマド=アリー のエジプト・スーダンの総督の世襲を認めるが、シリアの領有権は放棄する。
d ウンキャル=スケレッシ条約 を破棄。海峡封鎖の原則に戻る。
・1841年 ▲g 5国海峡協定 ロンドン4国条約にフランスが加わる。
→ b フランス はエジプトを支援、c ロシア がオスマン帝国を支援。イギリスが干渉。
a ムハンマド=アリー のシリア領有を認め一旦終結。
▲1833年 ロシア・オスマン帝国間でd ウンキャル=スケレッシ条約 を締結。
→ ロシア船の海峡通行を許可。
→ イギリス・フランスがロシアの地中海方面進出を警戒し反発。
・第2次 1839~40年 a ムハンマド=アリー エジプト総督の世襲要求。
→ オスマン帝国がシリア奪還を目指して出兵し、敗北。
1840年 e ロンドン会議 → 英・露・墺・普が介入し、フランスを除いてオスマン帝国と協定結ぶ。
= ▲f ロンドン4国条約 :英・露・墺・普が締結
a ムハンマド=アリー のエジプト・スーダンの総督の世襲を認めるが、シリアの領有権は放棄する。
d ウンキャル=スケレッシ条約 を破棄。海峡封鎖の原則に戻る。
・1841年 ▲g 5国海峡協定 ロンドン4国条約にフランスが加わる。
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b スエズ運河 の開通
E エジプトの財政悪化
・1853年 フランス人a レセップス 、
b スエズ運河 の建設を開始。 → 1869年 開通。
= エジプトとフランスが株を所有する株式会社として営業。
・1860年代 近代化政策と戦争のため莫大な債務を抱える。
→ c イギリス・フランスの財務管理下 におかれ内政干渉も受け、
実質的に植民地化が進む。
1875年 財政難から、イギリスにc スエズ運河会社株を売却 。
b スエズ運河 の建設を開始。 → 1869年 開通。
= エジプトとフランスが株を所有する株式会社として営業。
・1860年代 近代化政策と戦争のため莫大な債務を抱える。
→ c イギリス・フランスの財務管理下 におかれ内政干渉も受け、
実質的に植民地化が進む。
1875年 財政難から、イギリスにc スエズ運河会社株を売却 。
→ イギリス帝国のインド支配にとってエジプトがさらに重要になる。(後出)
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F ウラービーの反乱
・1881~82年 軍人a ウラービー=パシャ が指導。
= 「b エジプト人のためのエジプト 」を掲げて戦う。自由主義憲法の制定を要求。
意義:c エジプト最初の民族革命運動、反植民地闘争である。
1882年 イギリスは単独でアレクサンドリアを砲撃、さらに上陸し反乱軍を武力鎮圧。
→ エジプトはオスマン帝国の宗主権のもと、事実上はd イギリスの保護国 となる。
・その後も独立と立憲制の実現を掲げたe ウラービー運動 が続く。
= 「b エジプト人のためのエジプト 」を掲げて戦う。自由主義憲法の制定を要求。
意義:c エジプト最初の民族革命運動、反植民地闘争である。
1882年 イギリスは単独でアレクサンドリアを砲撃、さらに上陸し反乱軍を武力鎮圧。
→ エジプトはオスマン帝国の宗主権のもと、事実上はd イギリスの保護国 となる。
・その後も独立と立憲制の実現を掲げたe ウラービー運動 が続く。
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Text p.261
ウ.オスマン帝国の改革
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A オスマン帝国の混乱 18世紀 地方勢力( アーヤーン )の自立し中央権力脅かされる。
・1789年 スルタン▲a セリム3世 の西洋化改革始まる。
西洋式軍隊( ニザーム=ジェディット )の創設など近代化を試みる。
→ b イエニチェリ の反対により廃位され、殺害される。
1826年 スルタン▲c マフムト2世 、b イエニチェリ を全廃。西欧化を進める。
・19世紀前半 ワッハーブ派の動き、ギリシアの独立、エジプト=トルコ戦争などの混乱続く。
・▲1838年 トルコ=イギリス通商条約 不平等条約、イギリス製品の流入。
→ 国内産業打撃を受け、財政困窮進む。外債に依存したため列強の介入が強まる。
西洋式軍隊( ニザーム=ジェディット )の創設など近代化を試みる。
→ b イエニチェリ の反対により廃位され、殺害される。
1826年 スルタン▲c マフムト2世 、b イエニチェリ を全廃。西欧化を進める。
・19世紀前半 ワッハーブ派の動き、ギリシアの独立、エジプト=トルコ戦争などの混乱続く。
・▲1838年 トルコ=イギリス通商条約 不平等条約、イギリス製品の流入。
→ 国内産業打撃を受け、財政困窮進む。外債に依存したため列強の介入が強まる。
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B タンジマート(恩恵革命) 19世紀中ごろのオスマン帝国の改革
・1839年 a アブデュル=メジト1世 によるb 西欧化 改革。← エジプト=トルコ戦争
▲c 「ギュルハネ勅令」 を発布。司法・行政・財政・軍事の西欧化を実施。
イスラム国家から西欧型の法治国家への脱皮をはかる。
→ ヨーロッパの工業製品の流入 → 土着産業の没落 →外国資本への従属強まる。
・1853~56年 d クリミア戦争 後、立憲制の要求強まる。
▲c 「ギュルハネ勅令」 を発布。司法・行政・財政・軍事の西欧化を実施。
イスラム国家から西欧型の法治国家への脱皮をはかる。
→ ヨーロッパの工業製品の流入 → 土着産業の没落 →外国資本への従属強まる。
・1853~56年 d クリミア戦争 後、立憲制の要求強まる。
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C ミドハト憲法の制定 アブデュル=ハミト2世
・1876年 宰相a ミドハト が起草し発布。
意義:b アジア最初の憲法である。
内容:二院制と責任内閣制。 → 翌年、議会開設。
→ 社会改革の不十分な“上からの改革”に終わる。
意義:b アジア最初の憲法である。
内容:二院制と責任内閣制。 → 翌年、議会開設。
→ 社会改革の不十分な“上からの改革”に終わる。
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D 露土戦争
・1877~78年 ロシアがバルカンのスラブ民族の反乱を支援し、オスマン帝国に侵攻。
→ a アブデュル=ハミト2世 、戦争の勃発を口実に憲法を停止。
→ オスマン帝国の敗北。(前出)
・1878年 b ベルリン条約 オスマン帝国、ヨーロッパ側の領土の大半を失う。(前出)
→ a アブデュル=ハミト2世 、戦争の勃発を口実に憲法を停止。
→ オスマン帝国の敗北。(前出)
・1878年 b ベルリン条約 オスマン帝国、ヨーロッパ側の領土の大半を失う。(前出)
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19世紀後半 オスマン帝国は▲c “瀕死の病人” と言われるようになる。
エ.イラン・アフガニスタンの動向
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A イラン
・18世紀 a サファヴィー朝 の衰退と混乱
・18世紀 a サファヴィー朝 の衰退と混乱
・1722年 アフガン人に攻撃され衰える。 → ▲1736年 アフシャール朝 (トルコ系)成立。
→ ナーディル=シャー、アフガニスタンに進出、さらにムガル帝国のデリーを略奪。
その死後、アフガニスタンにはドゥッラーニー朝、イランにはザンド朝が成立。
→ ナーディル=シャー、アフガニスタンに進出、さらにムガル帝国のデリーを略奪。
その死後、アフガニスタンにはドゥッラーニー朝、イランにはザンド朝が成立。
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・1796年 b カージャール朝 (トルコ系)成立。首都をテヘランとする。
・19世紀 c ロシアの南下 強まる。d カフカス地方 に迫る。
ロシア=イラン戦争 ▲1804年 第1次でイラン敗北し、ゴレスターン条約でグルジアなどを割譲。
第2次 1826~28年 再びイラン敗北、1828年 e トルコマンチャーイ条約 締結。
= イランは東アルメニアを割譲し、ロシアに治外法権を認めた不平等条約。
・1848年 f バーブ教徒 ※の反乱 イランの農民・商人に支持され武装蜂起。→ 鎮圧さる。
※シーア派からおこった新宗教。マフディー(救世主)の再臨を説く。
= ▲g サイイド=アリ=ムハンマド が創始。外国勢力の排除、既成の宗教儀礼を否定し、
階級的差別を批判したため弾圧され処刑される。
ロシア=イラン戦争 ▲1804年 第1次でイラン敗北し、ゴレスターン条約でグルジアなどを割譲。
第2次 1826~28年 再びイラン敗北、1828年 e トルコマンチャーイ条約 締結。
= イランは東アルメニアを割譲し、ロシアに治外法権を認めた不平等条約。
・1848年 f バーブ教徒 ※の反乱 イランの農民・商人に支持され武装蜂起。→ 鎮圧さる。
※シーア派からおこった新宗教。マフディー(救世主)の再臨を説く。
= ▲g サイイド=アリ=ムハンマド が創始。外国勢力の排除、既成の宗教儀礼を否定し、
階級的差別を批判したため弾圧され処刑される。
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19世紀末のタバコボイコット運動をへて、1905年に立憲革命。英露の介入続く。
Text p.262
B アフガニスタン
・1747年 a アフガン王国 (ドゥッラーニー朝)が成立し独立。
・1747年 a アフガン王国 (ドゥッラーニー朝)が成立し独立。
・1837年 イランのb カージャール朝 がc ロシア の支援(実質は命令)で侵入。
→ 翌年、d イギリス が警戒し、出兵。以後、この地をめぐる英露両国の対立が続く
→ 翌年、d イギリス が警戒し、出兵。以後、この地をめぐる英露両国の対立が続く
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・e アフガン戦争 ロシアの南下からf インドの権益 を守るため、イギリスが介入。
・1838~42年 第1次 → イギリス軍がほぼ全滅し失敗。イランはアフガニスタンの独立を認める。
・1878~80年 第2次 → イギリスがg アフガニスタン保護国化 。
(1919年 第3次 アフガニスタンがインドに攻め込みイギリスに独立を承認させる。)
・1878~80年 第2次 → イギリスがg アフガニスタン保護国化 。
(1919年 第3次 アフガニスタンがインドに攻め込みイギリスに独立を承認させる。)
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19世紀末イラン・アフガニスタンはh ロシアとイギリスによる分割支配体制 となる
→ 1907年 英露協商:イラン北部はロシア、南部とアフガニスタンはイギリスが支配。(後出)