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クーリッジ

アメリカ合衆国第30代大統領。共和党。1920年代の経済繁栄の時期にあたっていた。

 カルヴィン=クーリッジ Calvin Coolidge は共和党の大統領。1923年、ハーディング大統領の急死によって副大統領から昇格し、翌24年に大統領選挙で当選し、1929年まで務める。彼の時代はアメリカ合衆国経済の好況が続いた20年代の頂点であった。クーリッジは、「アメリカ人の本業(ビジネス)はビジネスである」と宣言し、さらに「この国はビジネスの国であり、・・・ビジネスのための政府を求めている」として、連邦政府はビジネスのじゃまをしないこと、みずからその規模を縮小すること、公共支出を緊縮して民間企業を圧迫しないことに務めた。(まさに「民間で出来ることは民間に」と言って郵政民営化、規制緩和をすすめた2001年~2006年の日本の小泉純一郎内閣と同じことを言っている。)したがってその政策は、減税(しかも企業や高額所得者に対する所得税の減税)を進めることを主眼とし、それ以外は「何もしない大統領」と言われた。たしかにそれは20年代のアメリカの自由放任による経済の活況をもたらしたが、そのひずみが世界恐慌をもたらす原因となった。 → フーヴァー大統領

Episode ”だんまりのカル”

(引用)彼は、毎日昼食前に居眠りをし、食後には少しうとうととした後、夕食前には数分横になり、夕食後盛装のまま座っていることはわずかで、さっさとベットにひきあげた。・・・家庭では冗談と悪ふざけの好きだったクーリッジは、大統領としては沈黙という護身術を身につけていた。人の話を聞いてもただ黙っていれば、この世で起きる面倒なことの五分の四は解決されると彼は信じていた。人々の好んだジョークは、ある女性がクーリッジに二語以上しゃべらせてみせるという賭をしたというのを聞いたとき、クーリッジが「あんたの、負け」と言ったというものだった。人々はこの大統領を”だんまりのカル”とあだ名した。<林敏彦『大恐慌のアメリカ』1988 岩波新書 p.40-41>

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林敏彦
『大恐慌のアメリカ』
1988 岩波新書