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アウンサン

ビルマの反英組織タキン党の指導者。1940年から日本軍の支援を受け独立運動を展開、44年に抗日に転換。戦後も反英闘争を指導したが、47年、独立を達成する前に暗殺された。現在もビルマ独立の父として尊敬されており、アウンサンスーチーの父。

 アウンサン AungSan 1915~1947 はオンサンとも表記する。イギリス植民地下のビルマで、はじめラングーン大学の学生連盟書記長として学生運動を指導した。1838年から「我らビルマ人協会」(タキン党)のリーダーとして反英独立闘争を展開し、日本軍の援助で1941年にタイのバンコクでビルマ独立義勇軍(BIA)を創設した。

抗日に転換

 太平洋戦争の開戦後、1942年、日本軍がビルマ侵攻を開始すると、日本軍とともにビルマに進軍し、日本軍政下で表面は協力しながら地下活動の共産党などと連絡を取り、密かに抗日運動を準備した。43年、独立義勇軍も参加して反ファシスト人民自由連合(AFPFL、アウンサン総裁)を結成、45年3月から反日闘争を開始した。

独立達成直前に暗殺される

 1945年8月、日本軍敗退後は、再び植民地支配を行おうとしたイギリスと戦い、47年イギリス首相アトリーの間で独立協定に調印した。1948年1月に独立宣言が発表されることになっていたが、その直前の47年7月に政敵によって暗殺された。
 アウンサンは「ビルマ独立の父」として尊敬され、また国軍の創設者でもある救国の英雄としてアウンサン将軍と称されている。その娘が、ミャンマーの軍事独裁政権に対する民主化運動を指導、現在は国を率いているアウンサンスーチーである。

Episode 「ビルマ独立の父」アウンサンと日本

 タキン党の指導者アウンサン(オンサンとも表記)は同志のラミヤンとともにイギリス官憲の追求を逃れてアモイに逃れた。そこで日本軍の憲兵と接触、1940(昭和15)年日本に行き、東京で参謀本部の鈴木敬司大佐と会い、二人は面田紋二と糸田貞二という日本名でしばらく浜松などに潜伏した。鈴木大佐は二人を利用してビルマで反英闘争を起こさせようと考え、参謀本部に提案し、南機関という諜報機関をバンコクに開設した。こうして鈴木大佐とアウンサンらの協力で結成されたのがビルマ独立義勇軍であった。<泉谷達郎『ビルマ独立秘史』1967 徳間文庫>