国際連合憲章
1945年6月、サンフランシスコ会議で連合国50カ国が合意し、調印された国際連合の根幹となる規定。
1945年6月26日、連合国50ヵ国のサンフランシスコ会議で採択され、各国の批准を経て、1945年10月24日に正式に国際連合が発足した。国際連合憲章の前文は次のようなものであり、そこにその精神が盛り込まれている。
→ 国連広報センター・ホームページ 国際連合憲章 全文
国連憲章1章1条には国際連合の目標として
「国際の平和及び安全を維持すること。そのために、平和に対する脅威の防止及び除去と侵略行為その他の平和の破壊の鎮圧とのため有効な集団的措置をとること。」
と定め、国際連合は集団安全保障の理念に基づく国際平和機関として設立されたことを示している。国連憲章第51条には各国の個別的および集団的自衛権が認められているが、それはあくまで限定的、副次的な手段として付け加えられたものであった。
また2条3項には紛争の平和的解決義務を定め、次の様に規定している。
「すべての加盟国は、その国際紛争を平和的手段によって国際の平和及び安全ならびに正義を危うくしないように解決しなければならない。」
2条4項では、戦間期に不戦条約があったものの、報復としての戦闘行為や、在留民保護を口実とした出兵、平時の封鎖など「戦争に至らない武力行使」を許容する解釈を招いたことを踏まえて「武力の行使」と「武力による威嚇」を一般的に禁止して、戦争違法観を確立している。武力行使の一般的禁止により、紛争の平和的解決も国際法上、一般的義務として確立された。
6章では国際紛争の平和的解決手続き、7章では強制措置の仕組み(集団安全保障体制の規定)によって平和と安全を担保しようとしている。
憲章2条3項の規定は、一般国際法の規範として国際社会のすべての国を拘束すると考えられており、諸国は一般的にそうした観念のもとに国際関係を営んでいる。しかし、こうした紛争の平和的解決規範の実効性については、さまざまな題がある。<大沼保昭『国際法』ちくま新書 2018 p.302-303 などによる>
国際連合憲章の「国際紛争の平和的解決義務」に対し、それを理想に過ぎないとして遵守せず、現実の力こそが解決の手段であるとうする勢力がときおり現れる。アメリカの第2次トランプ政権はまさに力こそ正義だ、といわんばかりに国連憲章、国際法を無視した武力介入を繰り返している。それが国際連合創設を進めたT=ローズヴェルトと同じ立場にいる人物であるところに信じがたい思いが強い。「法の支配」という近代政治の原則さえ揺らいでいる感があるが、まだその結末を見るのは早いだろう。(2026/5/21記)
つまり国際連合憲章に署名した諸国は、アメリカ・イギリスを除き、原子爆弾が準備され、使用されたことを知らなかった。憲章には核兵器という従来の兵器から格段に殺傷能力、破壊力のある大量殺戮武器の出現の前に作成されたのだった。そのため、憲章には核兵器についての記述はない。
また第一次世界大戦後の国際連盟がまず第一に軍縮に取り組むことを掲げていたのに対し、国連憲章は第11章の総会が一般的な軍縮を話し合う規定などしか見当たらない。これは第二次世界大戦においては連合国はナチス・ドイツ、日本軍という強大な軍事力に対して軍備を増強することによって勝利した、という戦勝国側の見方が強く、軍縮に対しての意識、配慮は相対的に弱かったため、と指摘されている。<『岩波小辞典現代の戦争』2002 295「国連決議一号」 p.237-238 河辺一郎筆>
この点は国連憲章の不備として捉えることが出来るが、憲章成立直後に原子爆弾という殺戮兵器が現れたことは、国際の平和を目指す国連の任務は、まず核兵器の国際管理とその削減、廃止をめざすことにならざるをえなかった。1946年1月10日、ロンドンで開催された国際連合の第1回総会第1号決議で原子力委員会設置と将来の核兵器廃絶が決議されたのは、そのような事情があったためである。
しかし戦後まもなく、1947年から東西冷戦が明白となったことによって原子力委員会は活動を停止せざるを得なくなり、はげしい核兵器開発競争の時代へと突入することになった。
それでもなお戦後国際社会において、核実験の制限や禁止、核拡散の防止などの努力が続き、核兵器禁止条約の制定まで進み、戦後80年、二度目の核兵器使用はされることないでいることは、国際連合を主な舞台とした国際社会の努力として評価しなければならないだろう。(2026/5/21記)
資料:国際連合憲章 前文
「われら連合国の人民は、われらの一生のうちに二度まで言語に絶する悲哀を人類に与えた戦争の惨害から将来の世代を救い、基本的人権と人間の尊厳及び価値と男女及び大小各国の同権とに関する信念をあらためて確認し、正義と条約その他の国際法の源泉から生ずる義務の尊重とを維持することができる条件を確立し、一層大きな自由の中で社会的進歩と生活水準の向上とを促進すること、並びに、このために、寛容を実行し、且つ、善良な隣人として互いに平和に生活し、国際の平和及び安全を維持するためにわれらの力を合わせ、共同の利益の場合を除く外は武力を用いないことを原則の受諾と方法の設定によって確保し、すべての人民の経済的及び社会的発達を促進するために国際機構を用いることを決意して、これらの目的を達成するために、われらの努力を結集することに決定した。よって、われらの各自の政府は、サン・フランシスコ市に会合し、全権委任状を示してそれが良好妥当であると認められた代表者を通じて、この国際連合憲章に同意したので、ここに国際連合という国際機構を設ける。」→ 国連広報センター・ホームページ 国際連合憲章 全文
Episode アメリカ合衆国憲法前文との類似
国連憲章の冒頭「われら連合国の人民は・・・」は、英文では We the peoples of the United Nations であるが、これはアメリカ合衆国憲法の前文「われら合衆国の人民は・・・」 We the peoples of the United States と似ている。「その意味で、アメリカにとって、国際連合の成立は、国際社会の組織化を希求したウィルソンの夢の成就であるばかりでなく、アメリカの建国と比較しうるものであった。」<西崎文子『アメリカ外交とは何か -歴史のなかの自画像』2004 岩波新書>集団安全保障と国際紛争の平和的解決義務
第二次世界大戦後、連合国は二度と世界戦を起こしてはならないという強い決意のもとに、平和を確保する国際組織として国際連合を設立した。その加盟国は国連憲章を遵守する義務を負う。日本は国連創設時には敵国と位置づけられたが、敗戦後の1956年に加盟し、上位の国際法として国連憲章に従うこととなった。国連憲章1章1条には国際連合の目標として
「国際の平和及び安全を維持すること。そのために、平和に対する脅威の防止及び除去と侵略行為その他の平和の破壊の鎮圧とのため有効な集団的措置をとること。」
と定め、国際連合は集団安全保障の理念に基づく国際平和機関として設立されたことを示している。国連憲章第51条には各国の個別的および集団的自衛権が認められているが、それはあくまで限定的、副次的な手段として付け加えられたものであった。
また2条3項には紛争の平和的解決義務を定め、次の様に規定している。
「すべての加盟国は、その国際紛争を平和的手段によって国際の平和及び安全ならびに正義を危うくしないように解決しなければならない。」
2条4項では、戦間期に不戦条約があったものの、報復としての戦闘行為や、在留民保護を口実とした出兵、平時の封鎖など「戦争に至らない武力行使」を許容する解釈を招いたことを踏まえて「武力の行使」と「武力による威嚇」を一般的に禁止して、戦争違法観を確立している。武力行使の一般的禁止により、紛争の平和的解決も国際法上、一般的義務として確立された。
6章では国際紛争の平和的解決手続き、7章では強制措置の仕組み(集団安全保障体制の規定)によって平和と安全を担保しようとしている。
憲章2条3項の規定は、一般国際法の規範として国際社会のすべての国を拘束すると考えられており、諸国は一般的にそうした観念のもとに国際関係を営んでいる。しかし、こうした紛争の平和的解決規範の実効性については、さまざまな題がある。<大沼保昭『国際法』ちくま新書 2018 p.302-303 などによる>
国際連合憲章の「国際紛争の平和的解決義務」に対し、それを理想に過ぎないとして遵守せず、現実の力こそが解決の手段であるとうする勢力がときおり現れる。アメリカの第2次トランプ政権はまさに力こそ正義だ、といわんばかりに国連憲章、国際法を無視した武力介入を繰り返している。それが国際連合創設を進めたT=ローズヴェルトと同じ立場にいる人物であるところに信じがたい思いが強い。「法の支配」という近代政治の原則さえ揺らいでいる感があるが、まだその結末を見るのは早いだろう。(2026/5/21記)
参考 国連憲章の日付から考える
国際連合憲章が原加盟国によって署名されたのが1945年6月26日であったことは、十分注意する必要がある。すでにイタリア・ドイツは降伏していたが、日本と連合国はまだ交戦中であった。アメリカはその前から原子爆弾の準備を開始していたが、爆発実験に初めて成功したのはポツダム会談の開催前日の1945年7月16日だった。これで実用の目処がたったことによって8月6日、9日の広島・長崎への原爆投下となり、14日の日本のポツダム宣言受諾となった。つまり国際連合憲章に署名した諸国は、アメリカ・イギリスを除き、原子爆弾が準備され、使用されたことを知らなかった。憲章には核兵器という従来の兵器から格段に殺傷能力、破壊力のある大量殺戮武器の出現の前に作成されたのだった。そのため、憲章には核兵器についての記述はない。
また第一次世界大戦後の国際連盟がまず第一に軍縮に取り組むことを掲げていたのに対し、国連憲章は第11章の総会が一般的な軍縮を話し合う規定などしか見当たらない。これは第二次世界大戦においては連合国はナチス・ドイツ、日本軍という強大な軍事力に対して軍備を増強することによって勝利した、という戦勝国側の見方が強く、軍縮に対しての意識、配慮は相対的に弱かったため、と指摘されている。<『岩波小辞典現代の戦争』2002 295「国連決議一号」 p.237-238 河辺一郎筆>
この点は国連憲章の不備として捉えることが出来るが、憲章成立直後に原子爆弾という殺戮兵器が現れたことは、国際の平和を目指す国連の任務は、まず核兵器の国際管理とその削減、廃止をめざすことにならざるをえなかった。1946年1月10日、ロンドンで開催された国際連合の第1回総会第1号決議で原子力委員会設置と将来の核兵器廃絶が決議されたのは、そのような事情があったためである。
しかし戦後まもなく、1947年から東西冷戦が明白となったことによって原子力委員会は活動を停止せざるを得なくなり、はげしい核兵器開発競争の時代へと突入することになった。
それでもなお戦後国際社会において、核実験の制限や禁止、核拡散の防止などの努力が続き、核兵器禁止条約の制定まで進み、戦後80年、二度目の核兵器使用はされることないでいることは、国際連合を主な舞台とした国際社会の努力として評価しなければならないだろう。(2026/5/21記)