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ウルブリヒト

第二次世界大戦後の東ドイツで社会主義統一党をひきい、冷戦時代の東ドイツを指導した。

 戦前からドイツで共産党の議員として活動していたが、ナチス時代はソ連に亡命した。戦後は共産党と社会民主党を統合して社会主義統一党を組織して党第一書記などを務め、ドイツ民主共和国(東ドイツ)が建国されるとその実権を握った。
 1960~73年は国家評議会議長(国家元首)を務める。東西冷戦時代の東欧社会主義圏の代表的指導者の一人で、常にソ連の同調し、東ドイツの「ソヴィエト化」を進めた。特に西側との強硬姿勢は1961年のベルリンの壁の設置に現れた。1968年のチェコ事件では、チェコスロヴァキアへの軍事介入を主張した。70年代には経済政策でソ連と距離を置くようになったが、その独裁権力を維持し、その政治は時代に硬直したものとなった。1971年に第一書記の地位を腹心のホネカーに移譲した。なお国家評議会議長にはとどまったが、実権はなくし、半ば失脚状態で73年に死去した。
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