北緯38度線
朝鮮戦争の休戦ラインである朝鮮半島の南北を分断する緯線。ほぼこの線に沿って北朝鮮と韓国が対峙している。
北緯38度線休戦ライン GoogleMap
1945年8月、ソ連軍はヤルタ会談での決定どおり、対日参戦し、朝鮮半島にも赤軍を進駐させた。アメリカは急遽ソ連軍との活動範囲を定める必要が出て、仮に北緯38度線を境界線として提示した。アメリカはそれより遅く9月に朝鮮南部に進駐した。その後、北緯38度線の北と南にそれぞれ朝鮮民主主義人民共和国(北)と大韓民国(南)が成立した。
1950年6月25日、北朝鮮軍が北緯38度線を越えて南に侵攻し、朝鮮戦争が始まった。結局、ほぼ北緯38度線に沿って軍事境界線を設けて休戦協定が成立した。北緯38度線付近のイムジン河を境として幅2kmの非武装地帯が設けられれている。この境界線上にある板門店が南北協議の窓口となっている。
「イムジン河」
イムジン河 水清く とうとうと流る 水鳥自由に むらがり飛びかうよ 我が祖国 南の地 おもいははるか イムジン河 水清く とうとうと流ると歌う「イムジン河」は、原曲は1958年、北朝鮮の朴世永作詞・高宗漢作曲。イムジン河とは朝鮮を南北に分ける臨津江のこと。正確な発音では「リムジンガン」であるが、日本では「イムジン河」で通っている。北朝鮮で1958年に作られた楽曲で、在日朝鮮人にも知られるようになった。偶然に採譜されフョーク・クルセダースが1966年に歌い、評判になった。当時、「帰ってきたヨッパライ」で人気が出た「フォークル」の第2弾としてレコード会社が68年に発売しようとしたが、朝鮮総連が北朝鮮で作られた曲であることを明示しろと要求、作詞・作曲者不明の民謡として売ろうとした会社と対立したため、発売は中止となった。しかし、この曲は南北分断下の若者の思いを素直に歌ったものだったので、静かに広がり、歌われるようになった。その後はキム・ヨンジャや森山良子も歌い、よく知られるようになった。
北の大地から 南の空へ 飛びゆく鳥よ 自由の使者よ だれが祖国を 二つにわけてしまったの 誰が祖国をわけてしまったの