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トンキン湾事件

1964年、アメリカが自国艦船への攻撃に対する報復と称して北ベトナムを爆撃。ジョンソン大統領は議会に対し防衛措置のための軍事行動を大統領に認めることを要請、「トンキン湾決議」が採択され、最初の北爆が実行され、ベトナム戦争への事実上の突入となった。

 アメリカ合衆国ジョンソン大統領は、1964年8月2日にベトナムのトンキン湾を巡視中の駆逐艦が北ベトナムの魚雷艇の攻撃を受け、直ちに反撃のため北ベトナムを爆撃した、と発表した。これを受けてジョンソン大統領は議会に対し「アメリカ軍に対する攻撃を退け、さらなる侵略を防ぐために必要なあらゆる手段をとる」権限を大統領に与えるという決議を要請した。その結果、下院は410対0,上院は88対2という圧倒的多数の支持で「トンキン湾決議」が採択された。こうしてアメリカは事実上の北ベトナムに対する宣戦布告をおこなったこととなり、北ベトナム本土に対する北爆を行った。翌65年には北爆を恒常化させ、本格的なベトナム戦争に突入する。ただし、ジョンソン大統領は、正式な宣戦布告を出すことは議会に提案しなかった。あくまで防衛的な意図、つまり戦争に拡大することを防止する限定的な軍事行動であるとして国民の理解を求めたのだった。それは一方で「偉大な社会」建設という国内政策との両立を図るためだったとされている。

取り消された“トンキン湾決議”

 ところが、4年後、ジョンソンと対立して辞任した国務大臣マクナマラは、このトンキン湾事件がでっち上げ出ることを告白した。当時北ベトナムは魚雷艇を装備していなかったし、大統領が議会に提出した決議文の原案は5日よりも前に作成されたものであったことが明らかになった。1970年、このトンキン湾決議は取り消された。
 ドキュメンタリー映画『フォッグオブウォー』では、時の国防長官マクナマラは8月2日の魚雷攻撃は確かに受けたが、4日にもう一度受けたというのは、ソナー探知係の誤認だったと述べている。ベトナム戦争の責任の所在を問われたマクナマラは、それは大統領にある、明確に答えた。翌年の北爆恒常化、海兵隊のダナン上陸については大統領に反対を具申したが、止められなかったのは自分にも責任がある、というのが彼の立場だった。
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『フォッグ・オブ・ウォー』
2001 アメリカ映画

元アメリカ国防長官マクナマラがベトナム戦争の裏側を告白。太平洋戦争での東京大空襲についての証言もある。