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国際原子力機関/IAEA

1957年設立の国連関連機関。原子力開発・研究などの国際的な協力を図り、軍事利用への転換を防止する重大な任務を負っている。NPT成立以来は査察機関としてさらに重要になる。

 国際原子力機関=IAEA(International Atomic Energy Agency)1957年、国際連合の関連機関として設置され、原子力の平和利用と核分裂物質の国際管理を目的としている。本部は、オーストリアのウィーンに置かれている。

国連原子力委員会の失敗

 なお、国際連合では1946年1月10日 第1回総会第1号決議として原子力委員会の設置と核兵器および大量破壊が可能なすべての兵器の廃絶を目指す決議を出している。発足した原子力委員会でアメリカは原子力の国際管理の設置、ソ連は核兵器禁止条約を提案したが合意に達せず、活動を停滞させ、1952年に軍縮委員会に統合されて消滅している。この国際原子力機関の前身とは言えない。

アメリカの提案で成立

 1946年後半から米ソの軍事的対立の危険性が増し、47年からは明確な東西冷戦の状態に突入、米ソは激しい核兵器開発競争を開始した。1949年にソ連が核実験を成功させると、アメリカの焦りは大きくなった。さらに52年にイギリスも核実験を成功させたことによって、アメリカの核独占体制は完全に崩れ、これ以上の核拡散が危惧されることになった。
 そのような情勢から、朝鮮戦争後の米ソ間の軍事バランスを維持するためにも、アメリカにとって各国の核開発に関する国際的な取り決めが必要であると考えられるようになった。1953年の国連においてアイゼンハウアー大統領は演説を行い、原子力の国際的な協力の必要を訴えて原子力開発機関の設置を提言した。
 問題は原子力開発は不可避的に軍事利用に転換されることであった。原子力の平和利用の推進と同時に、軍事利用(核兵器製造)への転換を抑止するためにどうするか、そのためには国際機関での査察が必要であると意識されるようになった。1960年代には冷戦期の最大の核戦争危機であったキューバ危機が起こり、同時に世界的にも核兵器廃絶運動が盛んになった。1963年に部分的核実験停止条約が締結されたが、翌1964年には中国の核実験が行われ、核実験による地球規模での環境破壊、戦争に依らない〝被爆〟も問題にされるようになった。

核拡散防止条約(NPT)で査察任務付与

 そのような危機の中で、国連総会は1968年6月核拡散防止条約(NPT)を採択した。二国間協定ではなく国際条約として締結されたことに意義があり、翌7月にアメリカ・イギリス・ソ連の三国と56ヵ国が調印して成立した。この条約で、国際原子力機関に核の軍事転用を監視する査察機関としての役割が加わり、その存在が一層重要になった。
 原子力の平和利用の最も重要な部分である原子力発電は、産業と生活の質の向上に不可欠とされるようになったが、1979年のアメリカのスリーマイル島原発事故、1986年のチョルノービリ原発事故(チェルノブイリ事故)が起き、その安全性に強い疑問が持たれるようになった。原子力発電の安全な運用にとっても国家・国境の枠をこえた取り組みが必要出ることが明らかとなり、国際原子力機関の役割はさらに重要となった。2011年の日本の東日本大震災で引きおこされた福島原発事故は、原子力発電の安全性への危惧を現実のものとし、原発廃止も含めた対応が必要となっている。
その他の動き
  • 加盟国は2013年現在で159ヶ国。
  • 北朝鮮は1974年には加盟したが、1994年に脱退し、現在、核兵器の所有を公然と表明。2006年には核実験を行った。その後もミサイルの試射をつづけ、軍事的緊張を高めている。
  • 2003年11月にはイランの核開発が問題とされた。イギリス・フランス・ドイツ・日本が共同提案した非難決議案を全会一致で採択したが、アメリカの主張する安全保障理事会への付託は見送られた。
  • 2005年度のノーベル平和賞は、国際原子力機関とそのエルバラダイ事務局長(エジプト人)に授与された。
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