新ユーゴスラヴィア連邦
1992年4月、ユーゴスラヴィア連邦の分解過程で、セルビアとモンテネグロの二国で結成した。2003年に連邦制を解消し、セルビア=モンテネグロ国家連合となる。
1991年6月、ユーゴスラヴィア連邦を構成していたスロヴェニアとクロアティアが相次いで独立宣言したことからユーゴスラヴィア連邦の解体が始まった。11月にはマケドニアも独立、さらに翌92年3月、ボスニア・ヘルツェゴヴィナが独立を宣言した。ユーゴスラヴィア連邦6共和国の内、4共和国が分離独立すると、分離に反対していたセルビア共和国とモンテネグロ共和国は、4月に新たにユーゴスラヴィア連邦を結成した。これを前と別に新ユーゴスラヴィア連邦と言っている。
連邦大統領にはセルビアのミロシェヴィッチが就任、すでに始まっていたユーゴスラヴィア内戦でのセルビア人勢力の中心として、強硬な民族主義路線をとっていく。国際世論もセルビア勢力を侵略者、非人道的な民族浄化の犯罪者と見るようになり、アメリカ主導のNATO空爆を受け、95年に和平に応じた。
その後、1999年から新ユーゴスラヴィア連邦のセルビア共和国内の自治州コソヴォのアルバニア人勢力が独立運動を開始、ここでも苦境に立たされた。同年、ミロシェヴィッチは死去し、次第に国際協調路線に転換、その過程でモンテネグロの分離運動が始まり、それを抑えるために2003年には連邦制を解消して、セルビア=モンテネグロという二国連合に転換した。そのに国連合も、2006年にモンテネグロが分離したため、セルビアは単独の一国家となった。さらに二つの自治州のうち、コソヴォが2008年に一方的に独立宣言をしているが、セルビアはまだ承認していない。
連邦大統領にはセルビアのミロシェヴィッチが就任、すでに始まっていたユーゴスラヴィア内戦でのセルビア人勢力の中心として、強硬な民族主義路線をとっていく。国際世論もセルビア勢力を侵略者、非人道的な民族浄化の犯罪者と見るようになり、アメリカ主導のNATO空爆を受け、95年に和平に応じた。
その後、1999年から新ユーゴスラヴィア連邦のセルビア共和国内の自治州コソヴォのアルバニア人勢力が独立運動を開始、ここでも苦境に立たされた。同年、ミロシェヴィッチは死去し、次第に国際協調路線に転換、その過程でモンテネグロの分離運動が始まり、それを抑えるために2003年には連邦制を解消して、セルビア=モンテネグロという二国連合に転換した。そのに国連合も、2006年にモンテネグロが分離したため、セルビアは単独の一国家となった。さらに二つの自治州のうち、コソヴォが2008年に一方的に独立宣言をしているが、セルビアはまだ承認していない。