印刷 | 通常画面に戻る |

チリ民政移管

チリのピノチェト軍事政権に対する批判が強まり、1990年に軍政が終わり民政に移管し、民主化が始まった。

 1990年2月、チリで16年半にわたったピノチェト軍事政権に代わって、民主政党連合のエルウィンが大統領に選出され、チリは民政に移管した。しかし、ピノチェト支持の保守派の勢力も根強く、ピノチェト将軍は1997年まで軍総司令官としてとどまり、終身上院議員としても勢力を保持することとなった。また新政権は、軍事政権の新自由主義政策を継承し、アメリカの要求する自由貿易を進め、経済発展をはかった。
 しかし、民政移管と共にピノチェト独裁政権による反対派に対する誘拐、殺害などの犯行や、大統領の不正蓄財などが明るみに出て、ピノチェトを告発する動きが起こり裁判が始まったが、元大統領は老衰などを理由に出廷しなかった。
2006年1月、大統領に社会党員で女性のバチェレが当選(チリで最初の女性大統領)、ピノチェト裁判への元大統領本人の出廷も実現した。しかし、同年12月にピノチェト元大統領は死去し、その犯罪は裁かれること無く終わった。

Episode 拷問被害経験のある大統領

 ピノチェト政権下で拷問の被害者であったバチェレ現大統領が、2006年10月14日、秘密収容所「ビジャ・グリマルディ」を31年ぶりに再訪した。バチェレ氏(女性)は医学生だった1975年1月、母親と共に秘密警察に拉致され、グリマルディで2ヶ月半、尋問と拷問を受けた。反ピノチェト派の空軍将校だった父は拘束中に死んだ。現在は公園となっているグリマルディを母と共に訪ね、「痛みと悲しい記憶、恐怖が呼び戻された」と当時を振り返る一方、「命と自由と平和を取り戻す機会でもあった」と語った。<朝日新聞 2006年10月16日の記事より>
印 刷
印刷画面へ