総合・テーマ史
【問】つぎの文章を読み,下線部分(1)~(14)について下記の〔設問〕の答えを正しく記入しなさい。
古代末期、オリエント・地中海の信仰の世界においては、(1)多神教から一神教への流れがみられ、さらに、その過程にローマ帝国とイランのササン朝とのせめぎ合いが深く関わることになった。
ササン朝からみてゆくことにしよう。西暦226年、パルティアを打ち破って建国された(2)ササン朝は、(3)古代よりイランで信仰されてきたゾロアスター教を国教と定めた。その(4)善悪二元論を柱とする教義は、キリスト教の展開にも影響をあたえたとされる。また、ゾロアスター教は(5)遠く中国の地にも伝わった。ササン朝はしばしばローマ帝国と戦火を交え、 260年のエデッサの戦いでは、(6)ローマ帝国の軍人皇帝のひとりを捕虜とした。
(7)ローマ帝国の軍人皇帝時代に終止符を打った皇帝は、キリスト教徒に対して最後の大弾圧を実行したことでも知られる。しかし、同皇帝の退位に続く内乱を勝ち抜いたコンスタンティヌス帝は、歴代皇帝の対キリスト教政策を大転換し、(8)それを公認したのであった。
当時のキリスト教会においては、イエスの神学的な位置づけがなお定まっておらず、それをめぐって激しい論争がおきた。325年のニケーア公会議においては、論争に(9)敗れた一派は異端の烙印をおされ、他方、(10)勝利した一派の説はその後、正統教義の根幹となる。さらに、431年のエフェソス公会議でも(11)イエスの神性と人性との分離を唱える一派が異端と断ぜられたのであった。しかしながら、同派の教えはササン朝のイランを経由して、(12)中国にまで伝播した。
やがて、(13)同じように唯一神を信仰するイヌラーム教が台頭したが、そのイスラーム教もまた(14)内部分裂を体験しなければならなかったのである。
- (1)
- 古代ギリシアの神々は一般になんと呼ばれるか。
- (2)
- その建国の祖の名前はなんというか。
- (3)
- ササン朝の時代に編纂されたその教典はなんというか。
- (4)
- そのうちの善(光明)の神はなんと呼ばれたか。
- (5)
- 中国ではなんと呼ばれたか。漢字で答えなさい。
- (6)
- その皇帝の名前はなんというか。
- (7)
- その皇帝の名前はなんというか。
- (8)
- その勅令は一般になんと呼ばれるか。
- (9)
- この派は一般になんと呼ばれるか。
- (10)
- この派は一般になんと呼ばれるか。
- (11)
- この派は一般になんと呼ばれるか。
- (12)
- 中国ではなんと呼ばれたか。漢字で答えなさい。
- (13)
- ムハンマドは、それまでの多神教の神殿を新たにイスラーム教の聖殿と定めた。それはなんも呼ばれるか。
- (14)
- ウマイヤ朝の時代に、後にイスラーム教が大きく分けて二つの派に分かれるその発端がみられた。
- (a)
- その多数派はなんと呼ばれるか。
- (b)
- その少数派はなんと呼ばれるか。
解 答 解答欄ごとにクリック。全解答を表示するには右上の「全解答表示」をクリック。クリアは左上のメニューで選択。
1 | 2 | 3 | 4 | 5 |
オリンポス12神 | アルデシール1世 | アヴェスター | アフラ=マズダ | 祅 教 |
6 | 7 | 8 | 9 | 10 |
ヴァレリアヌス帝 | ディオクレティアヌス帝 | ミラノ勅令 | アリウス派 | アタナシウス派 |
11 | 12 | 13 | 14(a) | 14(b) |
ネストリウス派 | 景 教 | カーバ神殿 | スンナ派 | シーア派 |
※別解:(5): 拝火教 (14)(a): スンニー派