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2013年度 詳説世界史 準拠ノート

Text p.115

第4章 イスラーム世界の形成と発展

4節 イスラーム文明の発展

用語リストへ ア.イスラーム文明の特徴
■ポイント イスラーム教世界の文明の特徴を理解し、その世界史的な意義を考える。
1.イスラーム文明の特徴
  • オリエントの先進文明と征服者アラブ人のイスラーム教とアラビア語によるa 融合文明  であること。
  • バグダードやカイロなど、大都市に発達したb 都市文明  であること。
  • イスラーム教を核とするc 普遍的文明 であること。
2.イスラーム文明の地域的発展 広大な地域で受容され、地域的、民族的特色を加えたいくつかの文明が成立した。

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  • イラン圏でのa イラン=イスラーム文化  
  • トルコ民族圏でのb トルコ=イスラム文化   
  • インドでのc インド=イスラーム文化   など。
3.キリスト教世界への影響 イスラーム勢力のヨーロッパ進出は大きな脅威であったが、同時に多くのものを学んだ。
  • 11~13世紀 古代ギリシアの科学や哲学の文献は、次のようなルートで中世ヨーロッパに伝えられた。
     バグダード のb 知恵の館 で古代ギリシア語文献がアラビア語に翻訳される。 → 
    スペインのc トレド にもたらされ、その地のd 翻訳学校  でアラビア語からラテン語に翻訳される。 →
    ヨーロッパ各地から集まった学生によって各地にもたらされe 12世紀ルネサンス  を開花させた。(後出)
    つまり、f ギリシア文明は、イスラーム文明を媒介して、ヨーロッパに伝えられた    と言える。

解説

ルネサンスは一般に14世紀にイタリアで始まった「文芸復興」のことであるが、「12世紀ルネサンス」はそれに先立ち、中世末期のヨーロッパで興ったギリシア文化の復興や大学の登場などの動きを指している。そのとき、アラビア語に翻訳された書物を通してヨーロッパの学者はギリシア文献を知ることが出来た。12世紀ルネサンスについては第5章4節で学ぶ。
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用語リストへ イ.イスラームの社会と文明
■ポイント イスラーム社会と文明の特質を理解する。その中で神秘主義の果たした役割を理解する。
1.イスラーム社会における  都市   軍人・商人・知識人が居住する都市を中心に文明が形成される。
  • イスラーム法学や神学、伝承学、歴史学などをおさめた知識人であるb ウラマー  が指導層となる。
  •  モスク  とd マドラサ(学院) が信仰・学問・教育の場となる。
     市場  が生産と流通の場となる。= アラブ圏ではf スーク 、イラン圏ではg バザール  という。

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    他にh キャラバンサライ (商人宿)や公衆浴場などが設けられていた。
    神秘主義 神秘主義 
     → イスラーム帝国の成立によって整備された交通路により、遠隔地に伝わる。
2.イスラーム文明のひろがり
  •  製紙法  :751年 b タラス河畔の戦い  で唐の捕虜から学ぶ。
      c サマルカンド →d バグダード →e カイロ などに製紙工場建設。
      → イベリア半島・シチリア島を経て13世紀にヨーロッパに伝えられる。
3.a 神秘主義(スーフィズム)  の流行 10世紀頃、イスラーム教のなかに、
  •  形式的な信仰を排し、アッラーとの一体感を求める信仰   が広がる。
    → 都市の手工業者・農民の間に広まる。
  • ▲c セルジューク朝 のイラン人神学者d ガザーリー が体系化する。
    = バグダッドのe ニザーミーヤ学院 の教授を辞し、a 神秘主義 に傾き、諸国を放浪しながら信仰を広める。
  • 12世紀 各地に聖者を中心としたf 神秘主義教団  が成立。g ムスリム商人 と共に活動し信仰を広げる。
    → h アフリカ・中国・インド・東南アジア  に進出。各地の習俗を取り入れながら信仰を広げる。

解説

神秘主義はイスラーム教の拡張とともに8世紀の中頃にはじまり、9世紀に流行した、踊りや神への賛美を唱えることで神との一体感を求める信仰をいう。禁欲と苦行を旨とした修行者が贖罪と懺悔のしるしとして羊毛の粗衣(スーフ)を身にまとっていたことからスーフィーと言われるようになったとされる。彼らは形式的なイスラーム法の遵守を主張するウラマーの律法主義を批判して、自我の意識を脱却して神と一体となることを説き、より感覚的で分かりやすいその教えは都市の職人層や農民にも受け容れられた。10世紀以降にはインドや東南アジアなどにムスリム商人の活動とともに伝えられ、現地の土俗的な信仰と融合しながらイスラーム教の普及が進むこととなった。アラビアから興ったイスラーム教が広く世界に広がったのは、神秘主義(スーフィズム)の修行者の活動の結果であった。しかし後にはこの思想は本来のムハンマドの教えから離れていると批判する原理主義の思想が興ってくることとなる。
4.イスラーム文明を支えた人々
  • イスラーム文明はa 都市に住む人々 によって支えられb 神秘主義者  によって各地に広がっていった。
  • カリフやスルタンなどの支配層がモスクや学校を建設。商業や土地から上がる利益をc ワクフ として寄進。
    → d イスラーム圏では権力者・富裕層による積極的な文化活動の保護はその義務と見做されていた。    
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用語リストへ ウ.学問と文化活動
■ポイント イスラーム文明がいかに高度であり、他の文明にも影響を与えているかを理解する。

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1. 固有の学問  基本はアラビア語の 言語学 とb コーラン  の解釈から発達した 神学 ・ 法学。
  • イスラーム法( c シャリーア   )とその補助として、ムハンマドの伝承(d  ハディース   )を研究。
  • 歴史学 e タバリー   9世紀のイラン系神学者、歴史学者。年代記的世界史『預言者と諸王の歴史』を著す。
       f イブン=ハルドゥーン   14世紀  『世界史序説』で王朝興亡の法則性を探る。

解説

イブン=ハルドゥーンが『世界史序説』で展開した「世界史の法則性」とは次のようなものである。イスラーム世界には、文明の進んだ都市(ハダル)と、そうでない砂漠(バドウ)とがあり、砂漠に暮らす人々が強い連帯感(アサビーヤ)を持って勃興し、都市を征服し強力な国家を建設するが、やがて都市生活の中で連帯感を失い、新たな集団に征服されるということを繰り返している。またその交替は3代120年で起こる。人々を連帯させる砂漠の生活と、人々の連帯を希薄にする都市文明を対比させるという、現代の9.11にみるような世界の問題を考える際にも興味深い見解である。
2. 外来の学問 
 9世紀、バグダードのb 「 知恵の館 」 で、ギリシア語文献がアラビア語に翻訳される。(前出)
  • ・ギリシアの哲学・医学・天文学・幾何学・光学・地理学などがイスラーム圏に伝えられる。
3.イスラーム科学 インド  から医学・天文学・数学を学ぶ。
  • インドの数字を基にb アラビア数字  を考案。c 十進法  とd ゼロの概念  を取り入れる。
  •  フワーリズミー  (9世紀アッバース朝)代数学、三角法の創始。天文学の研究。
    → f 錬金術  や光学などの実験的手法がヨーロッパに伝えられる。
  •  ウマル=ハイヤーム  (11~12世紀イラン系)数学・天文学の研究、太陽暦(ジャラーリー暦)の作成。
      文学者としてはh 『ルバイヤート』  (四行詩集)の詩人としても有名。
  • 西ヨーロッパの科学用語に見るイスラーム文明の影響。アラビア語を語源とする用語が多い。
      i アルコール、アルカリ、アルケミー、アルジェブラ    など。        
4.哲学:ギリシアのa アリストテレス哲学  を研究 → 10世紀 神秘主義の影響受ける。
  •  ガザーリー  11世紀 ギリシア哲学に学び、神秘主義思想と合理的客観的なスンナ派の神学を大成。(前出)
  •  イブン=シーナー(アヴィケンナ)    11世紀 医学者として著名。『医学典範』を著す。
  •  イブン=ルシュド(アヴェロエス)   12世紀 コルドバ出身。アリストテレスの 著作をアラビア語に翻訳。

解説

イブン=シーナーは10世紀末、サーマン朝時代のブハラで生まれアリストテレス哲学と医学を学んだが、政情不安が続き、イランに移ってブワイフ朝に仕えた。その『医学典範』は体系的な医学書としてヨーロッパでも知られ、長く医学の教科書とされた。彼はラテン語でアヴィケンナといわれた。
イブン=ルシュドは12世紀のイベリア半島コルドバで生まれたイスラーム教徒。ムワッヒド朝に仕えてアリストテレスの著作のアラビア語訳を進めた。彼の著作がラテン語に翻訳されて知られるように成り、彼はラテン名でアヴェロエスと言われるようになった。
5.文学
  •  『千夜一夜物語』(アラビアン=ナイト)   インド・イラン・アラビア・ギリシアなどの説話の集大成。

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      → 16世紀初めまでに、カイロで現在の形にまとめられた。
  • 旅行記:b イブン=バットゥータ   旅行記の c 『三大陸周遊記』  を著す。
地図 b イブン=バットゥータ  の大旅行(教科書 p.174-175)
イブン=バットゥータの世界旅行

解説

イブン=バットゥータはモロッコのベルベル人のイスラーム教徒。1325年、25歳の時故郷タンジールを出発した。以下、彼が立ち寄った主な国々。マグリブを経てマムルーク朝のカイロからイェルサレム、メッカなどの聖地をめぐり、イル=ハン国時代のバグダード、イスファハーンなどを訪れた。再びメッカを経て紅海からインド洋を南下し、アフリカ東岸のモガディシオ、キルワに達する。北上してアナトリアからコンスタンティノープルに入り、さらに黒海の北岸を経てキプチャク=ハン国のサライ、東進してチャガタイ=ハン国のサマルカンドを訪ね、アフガニスタンを経てインドに入った。デリー=スルタン朝の一つトゥグルク朝に仕えた後、インド洋南方の島々をめぐる。東南アジアを経て元朝支配下の中国に入り、泉州、杭州を経て大都に到達した。時に1345年、45歳になっていた。一旦モロッコに戻ってから、イベリア半島を廻り、さらにサハラを縦断して黒人王国マリを訪問している。モロッコのフェズに戻り、そこで『三大陸周遊記』を口述筆記した。三大陸とは、アフリカ・ヨーロッパ・アジアのことである。教科書では、第Ⅱ部の最後の主題学習でバットゥータの大旅行について説明がある。
6.建築と美術
  • ・モスク建築:a ドーム(丸屋根) ・b ミナレット(光塔)  ・ミフラーブなどをもつ。
    例:イェルサレムのc 岩のドーム  (ウマイヤ朝)  その他、イスラーム都市に多数建設された。
  • 美術:d 細密画(ミニアチュール) 、金象嵌、e アラベスク (装飾文様)の発達。
  • 特徴 :f イスラーム教では偶像崇拝をきびしく禁止されたので絵画・彫刻は発達しなかった。    
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