第4章 イスラーム世界の形成と発展
◀ 1節 イスラーム世界の形成
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ア.イスラーム教の誕生
★解説(ア)
■ポイント 「世界史を変えた」といわれるイスラーム教の特質を理解し、なぜ急速に拡大したか考える。
A アラブ人 の成長
a アラビア半島 の砂漠で活動したセム系アラビア語を使う民族。
- ラクダ・羊などを飼育する遊牧生活と共に商業・交易活動を行う。▲b ベドゥイン ともいう。
- 6世紀後半 c ササン朝ペルシア とd ビザンツ帝国 の抗争が続く。
- → 両国国境のe オアシスの道 と、d ビザンツ帝国 の支配下にあったf 紅海貿易 につながる。
- g 海の道 とを利用していた東西交易が衰退し、かわってアラビア半島西部のルートが盛んになる。
→ h メッカ などのアラブ人の商業都市が中継地として栄える。偶像を崇拝する各部族が抗争する。
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B ムハンマド の登場
メッカのクライシュ族の商人。a マホメット ともいう。
- 610年 唯一神b アッラー の啓示を受けc 預言者 として自覚し布教を開始。
- その教え d アッラーへの服従、厳格な一神教、偶像崇拝の否定 など。
- 特徴 e 有力氏族の富の独占を批判。血統や貧富の差を否定して、万民の平等を説いた。
→ 急速に信者を増やす。従来の部族制と多神教を守ろうとする大商人たちによる迫害を受ける。
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C イスラーム教 の成立- a 622 年、迫害を逃れb メディナ に移住し、信者の共同体を建設。これをc ヒジュラ(聖遷) という。
- イスラーム教徒(d ムスリム )は、ムハンマドを信仰指導者かつ政治指導者と仰ぐ、共同体(e ウンマ )を結成。
- この年7月16日をf イスラーム暦 の元年1月1日とする。
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D アラビア半島の統一- 630年、ムスリムを率いa メッカ を征服。
- b カーバ を破壊しイスラームの正殿に造り直す。(右写真参照)
- c アラビア半島の祖部族を統一し、イスラーム国家を樹立した。
- a 厳格な一神教であること。
- b 偶像崇拝を厳格に否定していること。
- c 政治と宗教を一致させていること。
- d 『コーラン』に基づき、六信と五行を信者の義務とすること。
- ※e コーラン アッラーの啓示の書。アラビア語で書かれる。
→ 旧約聖書・新約聖書も神の啓示の書として認め、ユダヤ教徒・キリスト教徒をe 「啓典の民」 とする。
= 同じ一神教の信仰を説く予言者の宗教と認める。 - ※六信:f 神・天使・啓典・預言者・来世・神の予定
- 五行:g 信迎告白・礼拝・喜捨・断食・メッカ巡礼
アラビア半島とイスラーム教関連の重要地名
- イスラーム国家の都
- 1. メッカ
- 2. メディナ
- 3. ダマスクス
- 4. バグダード
その他の重要地名
- a. バスラ
- b. クーファ
- c. カーディシーヤの戦い
- d. ニハーヴァンドの戦い
- e. カルバラーの戦い
- f. クテシフォン
- g. フスタート
- h. コンスタンティノープル
- i. イェルサレム
イ.イスラーム世界の成立
★解説(イ)
■ポイント 正統カリフ時代からウマイヤ朝に変化した理由と、宗派の対立はなぜ起こったかを理解する。
A 正統カリフカリフ時代
- 632年 ムハンマド没。信者の共同体の中から後継者(a カリフ )を選出。
- 初代 b アブー=バクル ムハンマドの妻の父。大規模な征服活動をc 聖戦(ジハード) として行う。
- ▲2代 d ウマル 637年、 カーディシーヤの戦い での勝利に続き、
- 642年 e ニハーヴァンドの戦い でf ササン朝ペルシア を破る。イラン人のイスラーム化が始まる。
- さらにg ビザンツ帝国 からシリア・エジプトを奪い西アジアの穀倉地帯を支配。
- ※イスラーム国家 : カリフを宗教的・政治的権力者としてイスラーム教の信仰によって結びついた、アラブ人を主体として多くの民族を含む世界帝国が成立。(サラセン帝国)ともいう。
- 征服地に軍営都市(i ミスル )を建設。アラブ人が家族を伴い移住。 クーファ 、 バスラ 、 フスタート など。
- ▲3代 j ウスマーン ウマイヤ家出身。(シーア派はカリフと認めない)
→ 征服地の分配、カリフの選出などをめぐり、イスラーム共同体の内紛起こる。 - 4代 k アリー 、ムハンマドの従弟で、娘ファーティマの夫。
→ シリア総督のウマイヤ家のl ムアーウィヤ と争う。 - 661年 暗殺される(ハワーリジュ派による)。 → シーア派は初代m イマーム とする。
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B ウマイヤ朝 の成立- 661年 シリア総督a ムアーウィヤ がカリフとなり、以後世襲される。b ダマスクス を都とする。
- 680年 カルバラーの戦い ウマイヤ朝軍、シーア派イマームのフサインを殺害。
- 第5代カリフ ▲c アブド=アルマリク (在位685~705) 統一政策と外征を進める。
- 695年 d アラビア語 を公用語とする。
同年 統一貨幣(ディーナール金貨、ディルハム銀貨)を鋳造。
- 東方 704年 中央アジアのe ソグディアナ に進出。中央アジアへのイスラーム教拡張。
711年 インドのインダス下流に進出。ヒンドゥー教徒との抗争続く。 - 西方 北アフリカのチュニスを制圧、ベルベル人のイスラーム化が進む。
→ ▲f ビザンツ帝国 との抗争 コンスタンティノープルを攻撃、 シチリア島にも進出。 - 711年 タンジール からジブラルタルを越えてg イベリア半島 に進出、h 西ゴート王国 を滅ぼす。
- 732年 i フランク王国 に侵入。j トゥール・ポワティエ間の戦い で敗れる。
→ キリスト教世界を守ったカロリング家の宮宰カール=マルテルがカロリング朝を開く。(次章で説明)
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C アラブ帝国 の形成- a ウマイヤ朝 のもとで、征服者であるアラブ人が絶対的優位に立つ。同時にカリフの権限はさらに強大になった。
- 帝国の国家財政 征服地の先住民にb 地租(ハラージュ) とc 人頭税(ジズヤ) を課す。
→ d 征服地の異民族(非アラブ人)は、租税を納めることで信仰は認めたが、改宗しても課税された。 - ※イスラーム教は、異教徒に対して改宗を強制したのではなかったことに注意する。
- このような特色を持つウマイヤ朝時代をC アラブ帝国 ともいう。
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D イスラーム教の分裂- a ウマイヤ朝 の成立に伴い、イスラーム教団がカリフの地位をめぐって分裂。
- b スンナ派 :ウマイヤ朝のカリフを認めた多数派。
主張:c ムハンマドの言行(スンナ)を生活の規範とし、共同体の統一を重視する。 - d シーア派 :ウマイヤ朝のカリフを認めず、独自の指導者( イマーム )をたてた少数派。
主張:e 4代目カリフのアリーの子孫のみを正当な指導者とする。
= “アリーを支持する”という意味の“シーア・アリー”からきた。イスラーム教徒の約1割。
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・両派の対立は現在のイスラーム世界でも続いており、世界の不安定要因の一つとなっている。
ウ.イスラーム帝国の形成
★解説(ウ)
■ポイント 「アラブ帝国」から「イスラーム帝国」への変化の意味を理解する。
- ウマイヤ朝に対するイスラームに改宗した非アラブ人(a マワーリー )の不満が強まり、またスンナ派とシーア派の対立も始まる。
- ムハンマドの叔父の子孫 b アッバース家 の勢力が強まる。
→ ホラーサーン地方を拠点にウマイヤ朝に抵抗続ける
- 750年 アブー=アルアッバース、カリフを称す。
- a シーア派、アラブ以外のイスラーム教徒 らが協力し、b アッバース革命 を成功させる。
- 751年 中央アジアに進出し、唐と戦う。
= c タラス河畔の戦い (前出) - 第2代 d マンスール
首都e バグダード を建設。円形の都市計画。
円城から四方に道路が延び、運河などの交通網が発達していた。 (右図) - f イラン人 などの改宗者を要職に登用、官僚制度を整える。
→ 権力を握ってからはスンナ派を保護し、シーア派は弾圧。
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B イスラーム帝国 の成立
アッバース朝での諸改革
- 税制改革 イスラーム教徒であれば、アラブ人以外でもa 人頭税(ジズヤ)を免除。
アラブ人でも征服地に土地を所有すればb 地租(ハラージュ) を課す。 - 意義:c イスラーム教徒であれば、アラブ・非アラブの区別を無くし、平等にした。
- d イスラーム法(シャリーア) :民族差別を無くしたカリフによる統一的な支配の根拠とされる。
- アッバース朝の意義:e 「アラブ人の国家」から「イスラーム教徒の国家=イスラーム帝国」に変質した。
ただし、公用語は依然としてf アラビア語 とされた。
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・イスラーム圏 西アジアから東はイラン、中央アジア、インドへ、西は北アフリカからイベリア半島まで広がる。
地図 イスラーム世界の拡大
- a ムハンマド時代
- b 正統カリフ時代
- c アッバース朝
- d ビザンツ帝国
重要地名
- 1 メッカ
- 2 メディナ
- 3 ダマスクス
- 4 イェルサレム
- 5 バグダード
- 6 アレクサンドリア
- 7 コルドバ
- 8 グラナダ
- 9 トゥール
- 10 ポワティエ
- 11 ローマ
- 12 コンスタンティノープル
- 13 ニハーヴァンドの戦い
- 14 トゥール=ポワティエ間の戦い
- 15 タラス河畔の戦い
エ.イスラーム帝国の分裂
★解説(エ)
■ポイント 隆盛を誇ったイスラーム帝国が、三カリフに分かれ、分裂した事情とその後の各地域の動きを知る。
A 後ウマイヤ朝 の成立
- 756年 ウマイヤ朝の一族、a イベリア半島 に逃れ建国。アッバース朝カリフから自立しアミールと称す。
- 首都b コルドバ → バグダードの文化を吸収、高度なイスラーム文明を生みだす。
- ▲8世紀末 c カール大帝 時代のフランク王国の侵入を撃退した。
= ヨーロッパの一部のイベリア半島に、キリスト教国と隣接してイスラーム国家が存在したことに注意。
→ 半島の北部に残ったキリスト教徒が、イスラーム教徒からの国土回復運動を開始する(後出)。 - 10世紀、d カリフ を称す。 → 1031年滅亡 小国に分裂、キリスト教勢力の攻勢強まる。
→ その後もコルドバはヨーロッパがアラビアの先進的な文化を受け入れる窓口となった(後出)。
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B アッバース朝 の全盛期8世紀末~9世紀- 5代カリフ a ハールーン=アッラシード (在位786~809年)の時、全盛期となる。
学問、芸術を保護し、イスラーム文化の黄金時代と言われる。 - b バグダード の繁栄。人口100万を超える。
ギリシア語の文献の収集と翻訳が行われる。(第7代カリフのマームーンも継承) - 9世紀から、トルコ系軍人奴隷(c マムルーク )を中央アジアから購入し、親衛隊とする。(後出)
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C イスラーム帝国 の分裂- アッバース朝のカリフ a ハールーン=アッラシード の死後、カリフの権威が次第に弱まる。
- 軍隊の地方司令官が、独立して▲b アミール を称し、地方政権を各地につくる。
- 8~9世紀 地方政権の自立
- 北アフリカ ▲モロッコ イドリース朝(789-926)が成立。最初のシーア派国家。
エジプト c トゥールーン朝 (868~905) アッバース朝のトルコ系軍人が自立。 - イラン ▲東部にターヒル朝(821-873)、次いでサッファール朝(867-963)が成立。
- 西トルキスタン d サーマーン朝 (875~999)イラン系。都ブハラ。東部イランに進出。
= トルコ人を軍人奴隷(マムルーク)とする。 → トルコ人のイスラーム化すすむ。 - アッバース朝の弱体化 : 現在のイラク、バグダード周辺だけ位を支配するのみとなる。
869~883年 ▲ザンジュの乱 :イラク南部のバスラを中心とした黒人奴隷の反乱が起きる。
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D ファーティマ朝 の成立- 909年 北アフリカ(マグリブ地方)のチュニジアに成立した王朝。
- a シーア派 の中の急進派(▲b イスマイール派 を信奉。
= アリーとムハンマドの娘のファーディマの子孫であると称する。
→ カリフを称し、アッバース朝のカリフの権威を否定。 - 969年 c エジプト を征服し、首都b カイロ を建設。
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E 3カリフ時代- 10世紀 後ウマイヤ朝のa アブド=アッラフマーン3世 、カリフを称す。
- → b バグダード のアッバース朝、c コルドバ の後ウマイヤ朝、d カイロ のファーティマ朝が分立。
= 3人のカリフが並び立つ分裂状態となる。
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F ブワイフ朝 の成立- 946年、a イラン人 の軍事政権 b バグダード に入城。穏健なシーア派を信奉。
- b 大アミール に任命され、スンア派のカリフを保護する代わりに、c イスラーム法 を施行する権限を与えられる。
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・アッバース朝のカリフは名目上の存在としてバグダードに存続する。