ウズベキスタンの旅
サマルカンド・ブルーに輝くモスクをぜひこの目で見たいと考えていたところ、クラブツーリズムのツァー募集の広告が目に飛び込んできた。良い機会だと思って参加し、6泊7日のツァーを体験した。このようなツァーは初めてだったので不安だったが、添乗員・同行者にも恵まれ、楽しい旅が出来た。何よりも、中央アジアの歴史とイスラーム社会に直接触れる機会が出来たことは良かった。いままで教科書や参考書など文献上でしか知らなかった世界のが、目の前に広がっている。数々のモスク、バザール、城郭、そして広大な砂漠と遠くかすむパミールの山々・・・。もう一度行きたい旅の一つである。(2009年4月15日~21日)
1.タシケント 英雄ティムールを誇る町
ティムール公園 | |||||||
中央アジア5ヵ国の一つ、ウズベキスタン共和国を訪ねた。 首都、タシケントの中心にはティムールの像が造られている。独立前はこの地にはレーニン像があったそうだ。 現在のウズベキスタンでは、ティムールが建国の英雄として盛んに顕彰されていた。これもその一つ。すぐ隣にはティムール博物館があった。 案内をしてくれたのは、なんとティムール君(下)。現在でも多い姓だという。筑波大学で日本語を勉強した好青年。 |
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日本人墓地とナヴォイ・オペラ劇場 | |||||||
タシケント郊外の墓地の一角に、シベリアに抑留された日本兵捕虜の墓があった。 タシケントには79名が埋葬されている。サマルカンドやフェルガナなどにも墓地がある。 下のナヴォイ・オペラ劇場は、この日本兵捕虜の強制労働によって建設されたという。 |
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タシケントのムスリム墓地。 広大な墓地に、このような墓碑が建ち並ぶ。墓石には故人の肖像が刻まれ、生没年代は西暦で記されており名前の表記もロシア文字だった。 ムスリムは土葬だが、遺体は別な一角に埋められているという。 |
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ウズベキスタン工芸博物館 | |||||||
伝統の織物(スザニ) |
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ジュマ・モスクとバラク・ハーン・メドレセ | |||||||
左はタシケントの金曜モスク (ジュマ・モスク)とミナレット ちょうど葬式が営まれていたが 撮影は遠慮してほしいと言われた。 前庭には、コウノトリが 何羽もゆったりと 餌をついばんでいた。 |
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モスク附属の図書室。ここに最古のコーラン写本(ティムールがダマスクスから持ち帰った、オスマーン・コーラン)が所蔵されているが写真は許可されなかった。 |
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ウズベキスタン歴史博物館 | |||||||
クシャーナ朝の仏像 仏教遺跡はイスラーム勢力によってほとんど破壊された。 |
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コーラン写本の一つ | |||||||
左からガレノス、アヴィケンナ、ヒポクラテス 三人の医学者の像 |
左は、13世紀のモンゴル帝国の駅伝制(ジャムチ)で使用された牌符。パイザとも言う。英文の説明は Payza - certificate of Mongol warrior. silver,13cent. とあった。 |
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ティムール帝国のウルグ=ベクがサマルカンドに 建設した天文台の復元模型 |
詩人アリシェール=ナヴァーイー |
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アリシェール=ナヴァーイー記念像 | |||||||
アリシェール=ナヴァーイー(1441~1501)はティムール帝国時代の政治家、文学者。チャガタイ=トルコ語による多くの詩を創作し、ウズベク文学の祖と言われる。現在、ウズベキスタン各地にナヴァーイーの名を冠する記念碑や公園が作られている。タシケントの中心部にもナヴァーイー公園があり、この像はその中心に最近建設されたもの。 | |||||||
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タシケント市内 | |||||||
チョルスー・バザールからの市街地 | チョルスー・バザール | ||||||
ムスターキリク広場駅 |
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戦没者慰霊碑まえの新婚カップル | 地下鉄入口(構内は撮影禁止) | ||||||
タシケント駅 | ムスターキリク広場 国会議事堂 | ||||||
市内の看板 天文学者でもあったウルグ=ベクか | トロリーバス | ||||||
レストランのショーとマレーシアから来た観光客 | タシケント駅で見かけたナン売りの女性 | ||||||
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