ウズベキスタンの旅
3.サマルカンド その2
2009年4月20日/21日 | |
グリ・アミール廟 ティムールの墓所 | |
ティムールを初め、その一族の墓が納められている廟。グリ・アミールとはタジク語で「支配者の墓」の意味。初めはティムールの孫のムハンマド・スルタンが建てたメドレセとハナカ(スーフィーの宿坊)があったが、ムハンマド・スルタンが1403年のトルコ遠征で戦死した子を悲しんだティムールがその隣に廟を建設した。メドレセとハナカはその跡が残るだけとなった。 | |
グリ・アミール廟の内部 中央の黒い墓石がティムール、奥と左端はセイード・オマルというスーフィーの指導者の墓。右がムハンマド・スルタン、左手一つめが息子のシャールフ、2つめが息子のミランシャフ、手前が孫のウルグ=ベクの墓石である。 遺体はそれぞれの墓石の地下3mに埋められている。 1941年6月にソ連の学者が発掘し、ティムールの遺体を調査し、伝承どおり片足に障害があったことがわかった。 |
|
グリ・アミール廟内部。上のシャンデリアはウズベキスタン政府の寄贈。右はセイード・ウマルというスーフィーの聖人の墓で、木の上に馬の毛が飾られており、それがスーフィーの聖人のしるしだという。 |
|
マレーシアからの巡礼 |
グリ・アミール廟の向かい側、ルハバット廟 |
グリ・アミール廟の夜景 |
|
  | |
アフラシャブの丘 | |
現在のサマルカンドの北東に、かつてソグド人時代に栄えた古代の町の跡がある。 ここはかつてチンギス=ハンによって破壊され、今は深い土に被われ、 ところどころに発掘の跡が見られるだけである。 一面に牧草がひろがりラクダ草とポピーがまじった草原の下に、 古代サマルカンドの町が静かに眠っている。 |
|
にわかに嵐迫るアフラシャブの丘 この夜は強い風雨となり、サマルカンドの街路樹が倒された。 |
|
  | |
サマルカンド点描 | |
ロシア人の経営するワイナリー 長いロシア・ソ連時代をしのばせる。 |
男たちと警官 ガイド氏の話ではソ連時代は警官は恐れられていたが今はやさしくなったとか |
ホテル近くの民家 |
|
シャブ・バザールの入口 |
シャブ・バザールのナン売り場 |
朝8時前のシャブ・バザールのにぎわい |
|
サマルカンド駅 |
サマルカンド駅でナンを運ぶ人たち |
車中で食べたランチ |
タシケント行きの特急電車 |
  | |
サマルカンドの郊外 | |
サマルカンドに入る。バスに手を振って子どもたちが歓迎。 |
|
シャフリサーブスからサマルカンドに向かう途中でであった牧童。 |
|
現在は遊牧はなく、村ごとの羊をまとめて、村人が当番で牧童を務めているそうです。 |
|
遠くパミールにつながる雪山が見える。道路脇では拡張工事が盛んに行われていた。 |
|
今度のツア参加の目的の一つ、サマルカンド。1日半しか見ることが出来なかったのが残念だ。町中を散策する機会もあまりなかった。19日夜8時過ぎに、同室のM氏とシャブ・バザールに行ってみたが、すでにしまっており、あたりの町も真っ暗だった。それでも翌朝、バス出発前の7時~9時、もう一度シャブ・バザールを訪ねることが出来、その時は大勢の人が集まっていた。ようやくサマルカンドの人々の生活に触れることが出来た。 見るべき所ではウルグベクの天文台跡がコースに入っていなかったのが残念だった。ガイド氏に聞くとタクシーで行けば近いと言うが、見学時間を入れれば自由時間内には無理だったのであきらめた。またいつの日か再訪したいものだ。 |
|
  |