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アマルナ革命

前14世紀、エジプト新王国のアメンホテプ4世時代に行われた、伝統的な多神教に代わって太陽神アトンを唯一神とする一神教を創出した一種の宗教改革。都はテーベから新都アマルナに移され、その地で写実的な独特のみ術が生まれた。

 紀元前14世紀のエジプト新王国アメンホテプ4世(イクナートン)によって実施された、一種の宗教改革、およびそれに伴う新しい美術(アマルナ美術)の出現をアマルナ革命という。アマルナとは、彼が新都としたテル=エル=アマルナによる。 アメンホテプ4世は、従来のアメン神を中心とした多神教に依拠して大きな勢力となっていたテーベの神官たちを抑え、国王としての統一的支配を実現しようと考え、アメン神に替わる唯一神で普遍的な愛の神であるアトン神(アテン神)を創出し、その信仰を国民に強制した。自らイクナートンと改名し、都もテーベからテル=エル=アマルナに移した。

革命の背景

 エジプト新王国のファラオは盛んに西アジアへの遠征軍を送るなどの征服活動を行った。この王家による征服活動を加護する神として首都テーベの神殿の主神、アメン神が崇拝されていた。アメン神にはファラオから戦勝への感謝のしるしである貢ぎ物として莫大な戦利品や征服地の寄進が与えられた。アメン神殿を管理するアメン神官団は富を蓄え、その経済力を背景に、王位継承をはじめ政治への介入を強めていった。王権が脅かされる事態を危惧したファラオのアメンホテプ4世は、アメン神官団を排除し、王権の一元支配を目指す「宗教改革」を断行した。それがアマルナ革命の背景であった。<屋形健亮『地域からの世界史7 西アジア上』1993 朝日新聞社 p.47-48>

革命の結果

 アマルナ革命とは、エジプトの従来の部族的な多神教信仰を否定して、統一国家にふさわしい唯一神信仰を国王が主宰するというもので、宗教改革であると共に政治的、社会的な改革であった。しかしこの改革は、テーベの神官など、いわば抵抗勢力の反発を受け、王の死後は改革路線は維持されず、新王ツタンカーメン王は即位するとアメン=ラー信仰を復活させ、都もテーベに戻した。現在は、アメンホテプ4世時代の改革は、「アマルナ美術」と言われる新しい表現のあふれる遺品から読み取ることが出来るのみである。

革命はなぜ失敗したか

 アマルナ革命は、王の意志を絶対とする専制君主観の支配する宮廷に育ったアメンホテプ4世(イクナートン、アケナテン)が、王権の対抗勢力であるアメン神官団の存在を容認することができず、王権の一元支配を目指してはじめたものであったが,次のような理由から、革命は失敗に終わった。
  1. 唯一信仰を突き詰めていけば、古い多神教の神々を否定しなければならない。保守的な民衆にはこのような排他的な神を受けいれにくかった。特に一般民衆には来世の希望であったオシリス神が否定されたことは自己の来世も否定されたように受け取った。
  2. 祭祀を執行する資格は王だけが持つとされたので、宮殿の奥深くで行われ、民衆に公開されなかった。アテン信仰は宮廷の一部だけにとどまり、心から共感する者は少なかった。
 結局、アテン信仰は帝国にふさわしい普遍性をもっていたが、民衆に定着せず、また政治的な混乱をもたらすこととなり、国家神アテンの正当性は破綻してしまった。そのため、唯一のアテン神信者であったイクナートンが死去すると、再びアメン神が国家神の地位に復することとなった。<屋形禎亮『人類の起源と古代オリエント』世界の歴史1 1998 中央公論社 p.494>
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ノートの参照
1章1節 エ.エジプトの統一国家
書籍案内
屋形禎亮他
『西アジア〈上〉』
(地域からの世界史 7)
1993 朝日新聞社

屋形禎亮他
『人類の起源と古代オリエント』
世界の歴史1
1998 中央公論社