印刷 | 通常画面に戻る |

王の目、王の耳

古代イランのアケメネス朝で、地方官(サトラップ)を監視するため、中央から派遣された監督官を「王の目」、その補佐官を「王の耳」といった。

 イラン高原を中心として、小アジアからインダス川までを支配したアケメネス朝ペルシア帝国では、ダレイオス1世が、各州に地方官であるサトラップ(州知事、属州の総督)を置いて統治させた。サトラップが離反しないように、それを補佐する軍司令官は王が直接任命した。そしてサトラップを監視し、勤務状況を把握するために王直属の監督官を派遣した。その監督官を「王の目」といい、その補佐官を「王の耳」と称した。また、中央と地方を結びつけ、行政や軍事行動を迅速に行うために王の道と呼ばれる道路網をつくり、駅伝制を整備した。これによってアケメネス朝は、広大な世界帝国の中の諸民族を統治した。
印 刷
印刷画面へ