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春秋の五覇

中国の春秋時代に覇を唱えた有力な5人の諸侯を言う。

 中国古代の春秋時代に、中原に覇を唱えて、覇者として互いに争った有力者を五覇という。斉の桓公(かんこう)、晋の文公楚の荘王王闔閭(こうりょ)、越王勾践(えつおうこうせん)をいうのが一般的(『筍子』王覇編)であるが、呉王闔閭の子の呉王夫差とする説、呉越の代わりに、秦の穆公(ぼくこう)、宋の襄公(じょうこう)とする説もある。つまり必ずしも5人が重要という意味ではなく、5という数字は五行説に従って後の人が5人をあげたにすぎない。

五覇の意義

 五覇のうち、先の二者の斉の桓公と晋の文公はいずれも周王を倒すことは考えず、あくまで周王をたて、「尊王攘夷」(周王を尊び、異民族を打ち払って中原を安定させること)を実現することを目指していた。ところが、注目すべきことに、楚・呉・越という、それまでの中国史の中心であった黄河流域ではない、長江流域(江南)の勢力が五覇に加えら得ていることである。その最初が楚の荘王で、彼は前597年に邲(ヒツ、現河南省鄭県東)の戦いで晋の軍を破り、中原の諸侯を従えた。しかし荘王は斉の桓公や晋の文公のばあいのように諸侯をあつめて会盟を行い周王室を中心とした秩序を維持しようとするようなことはしなかった。その理由は、中原諸侯の精神的紐帯になっていた周王室が名実ともにその存在意義を失っていたことが考えられる。<貝塚茂樹・伊藤道治『古代中国』2000 講談社学術文庫 p.319-320>

文献上の五覇の違い

 五覇に上げられた人物は、文献によって異なるが、それを表にすると次のようになる。
出典 斉の桓公 晋の文公 楚の荘王 呉王闔閭 越王勾践 秦の穆公 宋の襄公 呉王夫差
荀子・王覇編
白虎通・号編
同上
漢書
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ノートの参照
第2章3節 エ.春秋・戦国時代
書籍案内

貝塚茂樹・伊藤道治
『古代中国』
2000 講談社学術文庫