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張衡

後漢の学者、自然科学者で地震計などを考案した。『文選』にも作品を選ばれた文人でもあった。

張衡地震計
張衡が発明した地震計
藪内清『中国文明の形成』岩波書店より
 後漢の張衡は、東京(洛陽)と西京(長安)を詠んだ「二都賦」や「帰田賦」が『文選』にも収録されている文章家であったが、自然科学にも通じ、太史令となって渾天儀(天球を模した観測器具)を造り天体観測を行った。またその名を有名にしたのは、132年に地動儀という世界最古の地震計(地震感知器)を造り、遠隔地での地震の発生を知ったことである。

Episode 世界最古の地震計

 『後漢書』によれば、張衡は「機巧を善くした」とある。順帝の陽嘉元年(132年)、彼が造った候風地動儀という地震計は、酒樽に似た銅製の器具の八方に竜首(注ぎ口)をとりつけ、地震の振動の方向にあたる竜の口が開いてふくんだ玉が落下し、下に置かれた蛙の口に入るようになっていた。あるとき、都では震動は感じられなかったのに一つの竜の口が開いて玉が落下した。数日を経て西方の隴西地方で地震が起こったという通知があり「みなその妙に服した」という。現代の地震学者によって地動儀が復元され確かめられているという。<藪内清『中国文明の形成』1974 岩波書店  右の図は同書p.326>

出題

 06年 立命館大 第1問 (4)後漢王朝の2世紀以後、羌族の反乱や天災が相次いだ。このころ地震が多発し、国家はその対応に追われたが、地震計を発明して甘粛で起こった地震を実際に探知したとされる学者は誰か。

参考 「令和」の典拠は張衡

 2019年4月1日、「令和」が新しい元号として発表されたが、そのとき、菅官房長官が日本の古典の『万葉集』の「梅の花の歌三十二首」の序文「初春の令月れいげつにして、気きよく風やわらぎ、梅は鏡前の粉をひらき、蘭は珮後はいごの香を薫らす」が典拠であります、と説明した。どうやらそれまでの漢文ではなく日本の古典から元号を採用することは安部首相官邸周辺からの強い意思が働いていたようだ。
 本屋で万葉集が急に売れ出したとか、万葉学者の中西進氏が提案したと自ら言い出した、などにわかに万葉集ブームになったらしいが、実はこの文のネタ元は後漢の文人張衡の「帰田賦」という韻文作品の「仲春令月、時和気清」(仲春の令月、時は和し気は清し)であった。このことは万葉集の注釈書にも必ず出ていて、専門家の中ではよく知られていたらしいが、この人物、張衡は世界史では世界で初めての地震感知装置を作った科学者として出てくる。
 明治大学の加藤徹氏がネットで「令和」についての誤解を正す発言をしているので、それによってみると、張衡の「帰田賦」も『儀礼』や『礼記』、『楚辞』等を踏まえおり、古典としてよくあることである。もっとも梅の花を愛でようといテーマではなく、宮仕えを止めていなかにひっこんでスローライフを送りたいという気持ちを詠んだものだ。万葉歌人たちはこの張衡の漢文を踏まえて和歌を作ったのであり、それはけして模倣(パクリ)ではなく漢文に対するオマージュなのであり、「おおらかな国際感覚」から生み出されたのだ、と加藤氏はいう。つまり、令和の典拠が万葉集だからナショナリズムの発揚だというのは的外れな議論だ、ということであろう。この他、加藤氏の指摘は多岐にわたっているが、ここでは張衡に関わることだけを記した。関連は元号の項を参照。
※なお、加藤徹さんのネット上の解説の存在は代々木ゼミナール教材研究センターの越田さんにご教示いただいた。ありがとうございます。
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書籍案内
藪内清
『中国文明の形成』
1974 岩波書店