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年号

漢の武帝が初めて「建元」の年号を建てる。

年号は正しくは元号といい、武帝が紀元前114年に、即位した紀元前140年にさかのぼって「建元」という年号を建て、元年としたのに始まる紀年法(年代を数える方法)である。それ以後、中国の各王朝の皇帝は、祥瑞(めでたいしるし)が現れたり、災難が起こったりすると、年号を改めた。それを改元という。改元は皇帝の専決事項で、皇帝が天命を受けて世を支配していることを示すことであった。中国の周辺のアジア諸国も、国家の形成とともに年号(元号)を制定した。年号を立てることは独立国家であることを表明することであったので、逆に中国の王朝に服属すると、独自の年号をやめ、中国王朝の年号を用いたわけである。日本では、大化の改新の時の「大化」が正式な年号の最初である。中国では明の太祖洪武帝一世一元の制(皇帝一代に一つの年号)として皇帝在位中の改元は行わなくなった。日本でも明治天皇から一世一元の制となった。年号(元号)は本家の中国では清王朝の滅亡(1912年)以後使用されなくなり、他のアジア諸国でもなくなったが、現在日本のみが使用し、しかも「元号法」(1979年生制定)まで制定し、一世一元の制を守ろうとしている。
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第2章3節 キ.漢代の政治