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ジンバブエ


ジンバブエ遺跡

アフリカ東海岸のモノモタパ王国の繁栄を示す遺跡。「大きな宮殿」の意味であったが、現在は国号となっている。

 1868年、アメリカの狩猟家が偶然、森林の中に巨大な廃墟を発見した。それがジンバブエ遺跡であり、モノモタパ王国の都であった。ジンバブエにはおそらく王宮と思われる巨大な石造建築が並び、また鉄器や金細工の他に、中国の陶器、ペルシアの陶器、アラビアのガラス、インドのビーズなど出土している。
 なお、この地は後にイギリスのケープ植民地首相セシル=ローズによってイギリスの植民地に編入され、ローデシアと名付けられた。その後、北ローデシアはザンビアとして独立、南ローデシアは白人政権が一方的に独立を宣言してローデシアと称したが、多数派の黒人が立ち上がり、1980年には黒人政権が成立して、国名を古代モノモタパ王国の都にちなみ、ジンバブエに改めた。

Episode あってはならない黒人王国

(引用) アフリカに偉大な文明か存在していたことの歴史的裏づけなど、行ってはならなかった。なぜなら、それは混乱を招くと同時に、既存の体制を危うくするものだったからである。一四世紀のグレートージンバブエのショーナ宮殿かそのいい例であった。白人の探検家か初めてこの宮殿を見たとき、彼らにはそれかアフリカ人によって建てられたものと思えなかった。ソロモソ王の鉱脈という説を唱える人もあれば、シバの女王かそこに住んでいたという人もあり、フェニキア人の居住地だったという説も現れた。同じように、一九一〇年、ナイジェリアで七つの壮大なテープコック彫刻か発見されたとき、それをめぐってふたつの説か登場した。ひとつは、はるか昔に消滅したギリシア人の入植地だという説。ふたつめは、はるか昔に消えたアトランティスの遺跡だという説である。
 このように、二〇世紀半ばまで、アフリカの歴史は、まるで人類史の一部ではないかのように、完全に白紙の状態に放置されていた。こうした理由から、アフリカ人の遺産の発掘は、私たちの時代にとっての大いなる文化的な冒険のひとつとなっている。<クリス・ブレイジャ/伊藤茂訳『世界史の瞬間』2004 青土社 p.122>
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4章3節 ウ.アフリカのイスラーム化
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クリス・ブレイジャ
/伊藤茂訳
『世界史の瞬間』
2004 青土社