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モノモタパ王国

アフリカ東部の内陸、ザンベジ川上流に成立した黒人王国。現在のジンバブエ。

 11世紀から15世紀頃、東アフリカの内陸部に栄えた黒人王国。1868年のジンバブエ遺跡の発見でその繁栄が明らかになり、ジンバブエを都とした王国であることがわかった。この地方は金と象牙の産地で、それらの品を海岸のソファラなどの海港都市に運び、イスラーム商人と交易をしていた。

モノモタパ王国の繁栄

 現在のジンバブエにあたる地域に、ショナと言われる人びとが一大王国を築いていた。彼らは内陸部の金と象牙を集積して、アフリカ東岸のスワヒリ地方でインド洋を渡ってやって来るインドや中国の商人と交易を行っていた。彼らは1100年ごろには王国を築き、さらに1300年ごろ、巨石を積み上げた巨大な宮殿を作り上げた。これが後にグレート=ジンバブエと言われる石造遺跡であるが、その言葉は「大きな宮殿」の意味であった。1425年ごろ、ショナの王ムトタは、この宮殿を放棄して新しい首都に移り、周囲の人びとの征服に乗り出し、大成功を収め、ムワナムタファ(荒廃した土地の君主、の意味)という称号を獲得した。後にこの地に入ったポルトガル人がこの言葉を「モノモタパ」と聞き間違え、しかも国号と勘違いして「モノモタパ王国」と言ったのが定着してしまった。<クリス・ブレイジャ/伊藤茂訳『世界史の瞬間』2004 青土社 p.116> → ジンバブエ遺跡

ポルトガルの進出と敗北

 ヴァスコ=ダ=ガマがアフリカ東海岸のソファラモザンビークなどに寄港してから、この二港はインド航路の中継港として重要な存在となった。 ポルトガルはヴァスコ=ダ=ガマの第2回目とアルメイダの遠征ではこれらの港を砲撃して軍事占領し、アフリカ東岸の植民地下にも乗り出した。
特にソファラは内陸のモノモタパ王国産の金が集積する所であったので、モノモタパ王国の存在を知ったポルトガル人の内陸進出の拠点とされた。1514年頃からポルトガル人は、神秘的な黄金に輝く王国の存在を確かめようと、ザンベジ川を遡り、熱帯の風土に悩まされながら、1535年にはセナとテテの2ヶ所に商館を築き、モノモタパ王国との取引を行った。象牙が主要な品となり、他に金、真珠、ゴム、蝋などを手に入れた。同時に宣教師もこの地で活動を開始し、一時はモノモタパ王を改宗させたこともあったが、イスラーム教徒の反撃を受け、布教には失敗した。その後、セバスチャン王は1569年に遠征隊を派遣、モノモタパ王国の征服を試みて内陸に迫ったが、激しい抵抗と熱病に苦しめられ、その何度かの試みはいずれも失敗した。その後も黄金を求める内陸への探検が続けられたが、ポルトガル人はニヤサ湖に達したまでで、それ以上の内陸にはすすめなかった。
 19世紀には南アフリカのケープ植民地を基点としたイギリスの勢力が北上、セシル=ローズによって植民地化されローデシアと言われるようになった。1965年には白人が主体となってイギリスから独立したが、その白人支配に反発した黒人が1980年に権力を奪還して、ジンバブエ共和国とした。
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ノートの参照
第5章3節 ウ.アフリカのイスラーム化