印刷 | 通常画面に戻る |

ルーシ

ノルマン人の一部をスラヴ人がこう呼んだ。ロシアの語源とされる。

ルーシはルスとも表記する。スウェーデンからロシアに移住したノルマン人と考えられている。「船を漕ぐ人」の意味とも言われるが、定説はない。また「ルーシ」が「ロシア」の語源という。彼らが先住民のスラヴ人と混血し、現在のロシア人となったと考えられる。彼らは9世紀中頃、リューリクに率いられてバルト海沿岸から北ロシアに入り、ノヴゴロド国を建国した。彼らはノヴゴロドを拠点に毛皮、蜜蝋、琥珀、奴隷などを重要な商品とし、水路を伝って南下してドニェプル川に出て黒海方面等の交易を行うようになり、ビザンツ帝国とも接触し、ロシア国家を形成していくことになる。
 リューリックの子のイーゴリは親戚のオレーグに助けられて、882年に南下し、同じ一族が治めていたキエフを奪い、拠点を移した。それがキエフ公国(キエフ=ルーシ)である。

Episode 「来きたりて統治せよ」 ルースの建国説話

 ロシアの原初年代記『過ぎし歳月の物語』によると、ルースがロシアの地に入ったことには次のような伝承がある。スラヴ人は南からのハザール人、北からのヴァリャーグの双方から挟撃され、しかも内部で対立があって苦しんでいた。ヴァリャーグとはノルマン人のヴァイキングのことで、彼らは北の海から川を伝ってやってくる水上武装集団であった。自分たちで問題を解決できなかったスラヴ人は、代表をヴァリャーグのもとに送り、「われらの国は大きくて、豊かだ。しかし、秩序がない。来たりて、公として君臨し、われらを統治せよ」と伝えた。この言葉に同意したヴァリャーグの首領リューリクは、衛士隊とともにノブゴロドに入り、その兄弟たちがさらに各地に向かった。彼らが公として統治する地がルーシの国と呼ばれるようになった、という。この伝承は長い論争があったが、今日ではそのまま受け止められている。ノルマン人はフランスにも、イギリスにも王朝を開いており、このケースも彼らの膨張の一例と見られる。そして他のケースと同じように、彼らは自ら支配する民に同化していった。<和田春樹『ロシア・ソ連』地域からの世界史11 1993 朝日新聞社刊 p.31>
印 刷
印刷画面へ
ノートの参照
第6章1節 キ.外敵の侵入と西ヨーロッパの混乱
書籍案内

和田春樹『ロシア・ソ連』
地域からの世界史11
1993 朝日新聞社