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ファテープル=シークリー

ムガル帝国のアクバル帝がアグラに次いで造営した新都。十数年で放棄されたが、遺構はインド=イスラーム文化を代表する文化遺産とされている。

 ファテプール=シィークリー、ファテプル=シクリなどとも表記される。ムガル帝国の都は、当初はデリーであったが、第3代のアクバルはその南のアグラに遷都した。しかしアクバルの新都造営はこれにとどまらず、1571年(1569年という説明もある)にはその近郊に新都ファテープル=シークリーを造営した。ムスリム王朝の都城と同じく城壁を有するが、城壁と多数の宮殿、モスクは、インド独特の赤砂岩で建造され、アクバル時代のムガル帝国の栄華を偲ばせると共に、インドイスラーム文化の遺産となっている。
 ファテープル=シークリーとは、「勝利の地シークリー」の意味で、勝利とはアクバルがラージャスタンのラージプート諸侯を平定したことであり、シープリーの地はアクバルが尊崇するスーフィーの尊者が住んでいたところであった。アクバルは当時まだ子供が生まれておらず悩んでいたところが、この尊者が間もなく男子に恵まれると予言、その言葉通りにジャハンギール(第4代皇帝)が生まれたので、喜んでこの地に新都を造営しようとしたという。<『ムガル帝国から英領インドへ』世界の歴史中央公論社新版14 p.134-135 などによる>

世界遺産 ファテープル=シークリー

 アクバル帝の築いた都ファテープル=シークリーは1986年、世界遺産に登録された。多くの建造物が赤砂岩で造られ、インドの土着的な様式とイスラーム様式が混在している。遺跡は宮廷地域とモスク地域に分けられ、宮廷地域にはアクバル帝の宮廷建築が多数見られ、アクバルがイスラーム教・ヒンドゥー教・キリスト教・仏教などの賢者を招いて宗教論議をさせたというディーワネ・ハースなどが残されている。モスク地域には多数のモスクが残されているが、その南にはブランド=ダルワーザーという、アクバル帝がラージャスタンを平定した戦勝記念の凱旋門として建造されたものである。ファテープル=シークリーの建造物群は同じアグラ郊外にある世界遺産タージ=マハルとは対照的な、質実な印象をあたえるが、ともにインド=イスラーム文化を代表する遺産となっている。

ファテープル=シークリーの放棄

 ファテープル=シークリーの新都城は、アクバルの死を待たず、1585年に放棄され、都はラホールに移された。つまり1569年からとすれば16年しかもたなかった。そうなった理由としては、この地方が砂漠に近く、給水がうまくいかなかったことが挙げられている。同様にせっかく構築された大都城が短期間で放棄された例はデリー=スルタン朝のトゥグルク朝の新都城トゥグルカーバードがある。
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7章4節 ア.ムガル帝国の成立