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シヴァージー

17世紀後半インド北西部のヒンドゥー勢力マラーター王国を建設。ムガル帝国と戦う。

 デカンのヒンドゥー教徒の指導者で、マラーター王国を建国した。1646年、ムガル帝国シャー=ジャハーンに対して反乱を起こし、その後も抵抗を続け、アウラングゼーブ帝の捕虜となったが脱走して名声を上げ、1674年にマラーターを糾合してデカンにヒンドゥー教王国マラーター王国を建設、チャットラパティを称して即位し初代国王となった。在位1674年~80年。

アウラングゼーブ帝との戦い

(引用)シヴァージーとアウラングゼーブ帝との死闘は、インド戦国絵巻の白眉であって、インドの小学生なら誰でも知っている話である。アウラングゼーブ帝の大軍団は、飾り立てた象軍団を先頭に、宮廷の貴族百官から踊り子たちまでひきつれ、まるで都がそのまま移動するようにゆるゆるとシヴァージー反乱軍を鎮圧にやってきた。それにたいしてシヴァージーの方は質実剛健な農民軍を中軸としており、ゲリラ戦法で神出鬼没、補給路を断つこと以外は正面からムガル軍と戦うことはしない。しかし決して敗北もしないのであった。やがて鎮圧されることのないマラーター軍に業を煮やしたアウラングゼーブ帝は、ついにシヴァージーにムガル宮廷に出仕するよう迎えを出すことになる。金銀をちりばめ、贅を尽くした行列を造って、アーグラー城入りしたシヴァージーを待っていたのは、やはり、アウラングゼーブ帝の罠であった。シヴァージーはたちまち捉えられてしまう。しかしやがて九死に一生をえて、アーグラーの宮廷から逃れたシヴァージーは、再びアウラングゼーブ帝と戦いを繰り返し、鎮圧につかれたアウラングゼーブ帝は戦場で失意のうちに死ぬのである。」(シヴァージーは暴力的なインド民族運動の象徴であった。しかしガンディーはそれをシンボルとして使わなかった。彼はヒンドゥーの英雄や神々といったヒンドゥー教徒だけに通じるシンボルを使うことを避け、紡ぎ車や塩といった文化的に中立なものを使ったのだった。)<長崎暢子『ガンディー』1996 岩波書店 p.66-67>
鉄の爪
マラーター王国のシヴァージーが使った武器「虎の爪」

Episode シヴァージーの「虎の爪」

 シヴァージーは初め、アーディル=シャーヒー朝というデカンの地方政権に仕えていた。反乱を起こしたシヴァージーを捕らえようと部将が派遣されてきた。シヴァージーは部将との会見の場で、挨拶の抱擁をするふりをして手にはめた「虎の爪」という武器で相手の腹を裂き、おそれた討伐軍は潰走してしまった。「虎の爪」は左図のようなものだ。ついでアウラングゼーブ帝の派遣したムガル軍に捕らえられ、アグラで帝と会見したが、そのときはさすがに同じ手は使えず、城内に軟禁されてしまった。しかし彼は隙を見て洗濯物入れの籠に隠れ、アグラ城を脱出するのに成功した。こうした冒険談はよく知られ、シヴァージーはイスラーム勢力という外敵に立ち向かった英雄の一人として人気が高い。<辛島昇編『南アジア史』新版世界各国史7 p.247 による 写真も>
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書籍案内

辛島昇編
『南アジア史』
世界各国史 7
2004 山川出版社