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マラーター同盟

インドのデカン高原のヒンドゥー教諸国同盟。ムガル帝国から自立し有力であったが、イギリスの進出に抵抗し、3次にわたるマラーター戦争で滅ぼされた。

 マラーター王国シヴァージーの死後、ムガル軍に敗れ滅亡しかかったが、アウラングゼーブ帝の死(1707年)によって息を吹き返し、18世紀にはいると再び強大となり、マラーター勢力(マラーターとは農民層を中心としたカースト集団の一つで、当時はムガル帝国に服さないヒンドゥー教の地方政権となっていた)に属する諸侯とマラーター同盟を結成し、デカン高原周辺に勢力を広げ、デリーのムガル政権を脅かすようになった。
 マラーター同盟は次第にシヴァージーの子孫の王家に代わり、宰相(ペーシュワー)を中心に有力な諸侯がまとまっていたが、1761年にアフガニスタンからインドに侵入したドゥッラーニー朝のアフマド=シャーとのパーニーパットの戦い(1526年の戦いとは別)で大敗し、宰相の権威が弱まって有力氏族が独立傾向を強め、衰退が始まった。

イギリスとのマラーター戦争

 マラーター同盟が分裂しつつあった時期にイギリス東インド会社によるインド支配がデカン高原に及ぶようになった。イギリスは宰相の地位を巡る争いに介入して、18世紀末から19世紀初めの3回にわたるマラーター戦争によって侵略を進め、マラーター同盟は1818年の第3次マラーター戦争の敗北によって滅亡した。宰相の領地はイギリス東インド会社直轄領に編入され、イギリスに従属した有力諸侯は藩王国として存続したが、事実上のイギリスの保護国という立場に転化した。この1818年のマラーター同盟の敗北によって、イギリスはインド亜大陸の大部分を征服し、残るは北西部のシク教徒のシク王国だけとなった。<中里成章他『ムガル帝国から英領インドへ』世界の歴史14 1998 中央公論社> → イギリスのインド植民地支配(19世紀後半)
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ノートの参照
7章4節 イ.インド地方勢力の台頭
書籍案内

佐藤正哲・中里成章・水島司
『ムガル帝国から英領インドへ』世界の歴史 14
1998 中央公論社