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君主論

16世紀はじめ、マキァヴェリが政治のあり方を論じた主要な書。

マキァヴェリが、1513年頃著し、フィレンツェの君主ロレンツォ=ディ=メディチ(大ロレンツォではない。その孫。)に献呈した、国家統治者たる君主はいかにあるべきか、を論じたもの。有名な、君主は「ライオンのような勇猛さと狐のような狡猾さ」が必要である、という主張は次のような文脈で出てくる。
「ところで戦いに勝つには、二種の方策があることを心得なくてはならない。その一つは法律により、他は力による。前者は、人間ほんらいのものであり、後者は獣のものである。だが多くのばあい、前者だけでは不十分であって、後者の力を借りなければならない。したがって君主は、野獣と人間をたくみに使い分けることが肝心である。・・・どちらか一方がかけていても君位を長くは保ちえない、そう教えているわけだ。そこで君主は、野獣の気性を適切に学ぶ必要があるのだが、このばあい、野獣の中でも、狐とライオンに学ぶようにしなければならない。理由は、ライオンは策略の罠から身を守れないからである。罠を見抜くという意味では、狐でなければならないし、狼どものどぎもを抜くという面では、ライオンでなければならない。」そこで、
「名君は、信義を守るのが自分にとって不利をまねくとき、あるいは約束したときの動機が、すでになくなったときは、信義を守れるものではないし、守るべきでもない。・・・人間は邪悪なもので、あなたへの約束を忠実に守るものではないから、あなたのもうも他人に信義を守る必要はない。・・・・」となる。
次のような言葉はまさに現代の政治家の本質を突いている。「国を維持するためには、信義に反したり、慈悲にそむいたり、人間味を失ったり、宗教にそむく行為をも、たびたびやらねばならないことを、あなたは知っていおいてほしい。・・・そして前述のとおり、なるべくならばよいことから離れずに、必要にせまられれば、悪に踏みこんでいくことも心得ておかなければいけない。・・・・」<訳文は池田廉訳『君主論』 中公クラシックス p.133など>
 マキァヴェリが、君主のあるべき姿として取り上げたのは、同時代のローマ教皇領を統治した、チェーザレ=ボルジアであった。また、マキァヴェリは、従来の傭兵制や外国軍に依存するのでは、国家の統一と自立は不可能であり、国民軍の創設が必要であることを強調している。フィレンツェ、ミラノ、ベネツィア、ローマ教皇領、ナポリ王国などに分裂し、フランス王やスペイン王、神聖ローマ皇帝などに蹂躙されていた16世紀のイタリアの状況に対する、痛烈な反省をこめた提言であった。その言葉は反道徳的なものと受け取られ、長い間危険な書物として禁書扱いされてきたが、政治目的の実現のためには権謀術数も必要であるという現実的な政治論は、マキァヴェリズムとして近代政治論に大きな影響を与えていく。
※『君主論』は、翻訳がたくさん出ており、文庫本でも読める。最も読みやすいのは中公クラシックス版の池田廉訳か。ただ訳語にはいろいろ異説があって、河島英昭訳の岩波文庫版では細部でかなり違う。また解説が充実しているのが佐々木毅訳の講談社学術文庫版。
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ノートの参照
8章2節 ア.ルネサンス
書籍案内

マキャヴェリ/池田廉訳『君主論』中公クラシックス

マキャヴェリ/河島英昭訳『君主論』岩波文庫