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コレージュ=ド=フランス

1530年、フランスのフランソワ1世が設立した王立高等教育機関。

 Collège de France 1530年、フランスのヴァロワ朝フランソワ1世が王宮内に開設した古典研究のための学院で、現在も続く高等教育機関。開設は、フランス・ルネサンスの開花の一つのあらわれであり、人文学者ギョーム=ビュデがフランソワ1世に進言して開設された「王立教授団」に始まる。これに対してパリ大学神学部(ソルボンヌ)は神学軽視であり、異教の学問であるとして強く反発し、しばしば対立したが、フランス王室はその後も保護を続け、17世紀には「王立学院」、18世紀からは「コレージュ=ド=フランス」としなって現在も続いている。現在は、約50ある講座の講師は教授会が選考し大統領が任命する。学位授与はないが、受講には試験がなく万人に開かれている。

人文学者ギョーム=ビュデ

 コレージュ=ド=フランスの基になった「王立教授団」設立をフランソワ1世に進言したギョーム=ビュデは、「フランスのエラスムス」ともいわれる人文学者(古典学者)でヒューマニズム(ユマニスム)の開祖の一人であった。ビュデはギリシア語を習得して聖書の原典研究をはじめたため、パリ大学神学部(ソルボンヌ)の神学者からは異端視され弾圧された。当時ちょうど隣国ドイツではルターの宗教改革が始まり、カトリック側は神経を高ぶらしていたためである。ビュデは旧教側の度重なる弾圧にもかかわらず、国王フランソワ1世に保護を求めた。フランソワ1世も当時、ハプスブルク家のカール5世と激しく対立していたので、非カトリックのビュデの意見を容れ、王室での古典学者の講義を認め、学院を創設した。学長にははじめエラスムスを招聘しようとしたがそれは実現しなかった。1530年3月ごろ、ギリシア語・ヘブライ語・数学・ラテン語の6教授からなる王立教授団が組織され、あまり目立たぬように開講されたという。また教授への俸給もわずかで、支払われなかったこともあるという。約束れていた専用の建物も完成したのは1778年のことだった。<渡辺一夫『フランス・ルネサンスの人々』1971 岩波文庫 p.20-54 「ある古典学者の話―ギョームービュデの場合」> 
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ノートの参照
8章4節 オ.フランスの宗教内乱と絶対王政