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エラスムス

16世紀はじめ、オランダのヒューマニストで『愚神礼賛』を著し、宗教改革に影響を与えた。

エラスムス
Desiderius Erasmus 1467-1536
ホルバイン筆
 オランダ(ネーデルラント)のロッテルダム生まれの代表的なヒューマニストで、文献学者。文献に基づく確かな知識を大切にすることを主張した。その主著『愚神礼賛』(1509年)は聖職者たちの偽善を暴き、当時の全ヨーロッパに衝撃を与えた。イギリスに渡り、トマス=モアとも親交を持った。1516年に『校訂新約聖書』をバーゼルで刊行し、ギリシア語原典に立ち戻って新約聖書を校訂した。

「エラスムスが産んだ卵をルターがかえした」

 彼は聖書の正確な本文を確立し、老若、男女、貧富、地位、母語の相違を越えて誰でもが聖書を読み、聖書にもとづく生活をできるようにするべきだと主張した。この主張はルターの改革理念である「万人祭司主義」を先取りしているといえる。「エラスムスが産んだ卵をルターがかえした」と言われるほど、ルターやツヴィングリの宗教改革の先駆となったが、彼自身はルターの宗教改革にも批判的で、新旧両派から距離を置いた。

佐野で見つかった「エラスムス像」

 栃木県佐野市の竜江院というお寺に「貨狄(かてき)像」として伝えられた西洋人の風貌をした木彫が残されている。この像の姿から寺付近では「小豆とぎ婆々」という民話も生まれた。昭和5年に調査したところ、右手に垂れ下がっている巻物に「ER(AS)MVSR(OT)TE(RDA)M1598」の文字が認められ、オランダのロッテルダムで1598年に作られたエラスムス像であることが判った。 → オランダと日本
 なぜエラスムス像が栃木県の佐野ににあるのかというと、もともとこの木像は、1600年に大分に漂着したオランダ船リーフデ号の船尾に取りつけられていたもので、リーフデ号は前名をエラスムス号といっていたのだった。乗組員ヤン=ヨーステン、ウィリアム=アダムスが江戸幕府に仕え家康の外交顧問になったことはよく知られているが、この木像はその後、旗本の牧野家が管理し、その知行地であった佐野の羽田村の菩提寺竜江院に寄進されたものであったのだ。
 エラスムスの故郷オランダからは最古の木彫美術品で歴史的な遺品なので返還要求があったが丁重に断り、国宝に指定され、現在は東京国立博物館に保管されている(現在は法改正で重要文化財)。東京国立博物館では常時展示ではないが、佐野市郷土博物館には複製品が常設展示されている。16世紀末に日本とオランダを結びつけた証拠となる貴重な遺品だ。 → 佐野市ホームページ
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