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サイイド=サイード

19世紀のオマーンの権力者。ザンジバルを都に一大海洋王国を支配した。

オマーンはアラビア半島東端のペルシア湾入口に位置するアラブ人の国で、都マスカットを中心にインド洋交易圏の要衝として栄え、17世紀にポルトガルの勢力を駆逐してアフリカ東岸に進出していた。イスラーム教イバード派のイマームが指導する宗教国家であったが、1780年代からサイイドと称する世俗統治者が政治を行うようになっていた。サイイド=サイード(在位1806頃~1856年)は、1820年代からアフリカ東岸のオマーン系有力者を抑えて各地に税関を設けて通商権を掌握し、富を蓄えた。特にザンジバルではクローブ(香料)栽培を黒人奴隷を使役して行い、富をたくわえ、さらに都をザンジバルに移して1833年から王宮を建設した。こうしてこの時期にはオマーンはアラビア半島からアフリカ東岸一帯に及ぶ海洋帝国となり、ヨーロッパ諸国とも交易を行い、多数の帆船を所有してインド洋の中継貿易で繁栄した。しかし1856年に死去すると、二人の息子がザンジバルとオマーン(マスカット)を分かれて統治するようになり、いずれも急速に衰退した。<『新書アフリカ史』講談社現代新書 p.228-241>
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9章2節 ア.アジア市場の攻防