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スウィフト

1726年、イギリスで風刺文学の傑作『ガリヴァー旅行記』を発表。

 スウィフト Jonathan Swift (1667-1745)は、アイルランドのダブリンで貧しい家庭に生まれ教会の牧師となり、ロンドンでトーリ党に属する政治家となったが敵が多くダブリンに戻り、ウォルポール内閣のアイルランド政策を厳しく批判するパンフレットを発行して危険人物視された。1726年に『ガリヴァー旅行記』を発表、それは当時のイギリスの政治や社会のみならず、人間全般に対する鋭い風刺に満ちており、「最も不愉快な書物(中野好夫)」と言われながらも大きな反響を呼び起こした。晩年は不遇であったが、その著作は単なる子供向けの童話ではなく、政治と社会のあり方に警告を発する書物として多くの読者を得ている。以下、新潮文庫版『ガリヴァー旅行記』の中野好夫氏の解説から、スウィフトの紹介文の一部を引用する。

苛酷なスウィフトの生涯

(引用)作者ジョナサン・スウィフトは、1667年ダブリンに生まれた。生まれながらにすでに父親の顔を知らなかった。そしてこの早熟で、鋭敏な神経質の少年は、その青年時代までを経済上の不如意のため、ほとんど他人の家庭に厄介者として、日蔭の生活を送らなければならなかった。大学生としては怠惰で、放縦で、手に負えない不良児だった。形而上学に対する一生の嫌悪はこの時代にすでに根強く植えつけられた。勉強したのは歴史と古典と、そして・・・詩とだけであったといわれている。まったく生活のため僧職について、そして恋をした。しかし彼の経済的無力を知っている聡明な少女は、彼の結婚強要を体よく回避した。若い女と結婚するなと、彼は密かに誓ったとも言われる。彼は傲岸不遜だった。だが彼には自分にさえ、どうにも持て余し気味の烈しい世俗的野心が胸の内に煮え返っていた。・・・野心を抱いて幾度かロンドンへ出た。そして若い美しい、彼の所謂ステラをも得たのだ。・・・野心と栄達とのためには彼はずいぶんと阿諛的屈辱をも敢えてした。だが一度酬いられないと見るとたちまち豹変して、その毒舌嘲罵は相手の心臓をいえぐらないではおかなかったのである。彼は昨日の民党(ホイッグ)支持を捨てて、反対党の王党トーリーに走った。再び政治界の活躍時代が来た。しかしそれも彼の期待は空しく裏切られなければならなかった。1713年いっさいの野心から見放された五十に近い、そしてそのときすでに後年の精神病の萌芽さえ蝕みつつあった肉体を、ダブリンの聖パトリック教会副監督という、彼としてはあまりにも憤懣の閑地に持ち帰った。アイルランド帰来後の彼の風刺は、もはや犬儒的な辛辣さを加え始めた。1724年英国の対アイルランド貨幣政策の不正を痛撃した。匿名の『ドレイピアの手紙』は彼の首に莫大な懸賞金を賭けさせた。持病であった発作的眩暈は悪化の一途を辿るばかりであった。しかもこのころ彼に激しい熱情を投げかけた若い女性ヴァネッサは、ステラとの愛情のもつれから自ら生命を絶って、この悲劇はさらでだに傷ついた彼の心の創痍を深くした。『ガリヴァ旅行記』は、実にこのあまりにも人間的な、悲痛な生活と感情との星雲の中にあって、すでに1715年ごろから書き始められ、それは沸き返る怒りと嫌悪と憤懣と憂悶との中で醗酵させられながら、1726年10月に、ついにその誕生を見たのである。・・・1728年ステラの死後は、病勢はますます昂ずるばかりだった。ますます狷介に人を避けた。絶えず烈しい耳鳴がし、眩暈が絶えず襲って来た。死と荒廃とは日一日とその影をこくした。訪問者たちを送り出す時、彼は「さようなら、もうこれで二度とお目にかかれますまい」とさえ述べたと伝えられる。1738年に完全な痴呆状態が現れた。しかも酷薄な運命はこの痛ましい残酷な生命を、なお1745年、77歳まで生きのびさせた。・・・彼の遺書には、完備した精神病院の建設のためにその遺産が捧げられてあったという。」<『ガリヴァ旅行記』新潮文庫版 中野好夫解説 p.417-423>

ガリヴァー旅行記

1726年、スウィフトが発表した小説。当時のイギリス政界を風刺した。

 『ガリヴァー旅行記』は1726年にスウィフトが発表した小説。船医ガリヴァーが体験した4回の航海談という形をとっており、特に第1回の小人国(リリパッド王国)と第2回の巨人国(ブロブディンナグ王国)の二話は奇想天外な冒険談、子供向けの物語としてもよく知られている。しかし、この2回にも当時のイギリスの政治や社会、文化に対する風刺がこめられており、ジョージ1世治下のウォルポール内閣の政治や、トーリとホイッグの政争、英仏のたえざる戦争などが皮肉られている。そして特に第3回の飛島(ラピュタ)と第4回の馬国(フウイヌム国)への渡航記は、人間社会さらには人間そのものへのするどい皮肉を含んでおり、現代の政治や世界を考える上でも多くの警告と示唆を与えてくれる書物である。

スウィフトの政治批判

 『ガリヴァー旅行記』第4編、フウイヌム国渡航記は最も風刺が鋭い内容となっている。この国は馬が支配者であり、人間の姿に近い動物ヤフーが家畜として飼われている。馬たちは理性があり戦いを知らず平和に暮らしているが、ヤフーは食べ物やつまらないことで常にいがみ合っている。ガリヴァーはヤフーの姿の中に現実の人間を見る。あるとき主人の馬から人間界の国家のしくみでの宰相のやくわりについてたずれられたガリヴァーは、こんな風に応えている。
(引用)・・・宰相とは、悲喜、愛憎、憐愍、怒りと、そういった感情をまったく失った人間、いや少なくとも激しい富貴、権勢、位階欲以外は、いかなる感情にも用のない人間である。ずいぶんしゃべることはしゃべるが、どんなことがあっても、決して自分の本心を表すことはない。彼が真実を語るときは、それはかならず相手に虚言だと思わせるためであり、逆にまた虚言を吐く場合は、かならず真実と思わせるのが目的である。また彼が蔭で最もひどい悪口をする人物は、決って取り立てにあう人間であり、もしまた彼が諸君のことを他人に向かってなり、諸君の面前で称賛するようなことがあれば、諸君はまずもうその日から捨てられるものと思って間違いない。<『ガリヴァ旅行記』新潮文庫版 中野好夫訳 p.336>
 このほか、政治家だけでなく、弁護士や医者、学者といった人びとが次々とやり玉に挙げあれ、酷評されている。

Episode ヤフーとラピュタ

 第4編のフウイヌム国にヤフーと言われる動物が出てくる。彼らは醜く、悪臭を放ち、いつもいがみ合い、食欲と性欲の本能を隠さない。そしてこの国の主人公である馬たちの家畜として飼われている。ふとしたことからこの国に渡ったガリヴァーも姿が似ていたのでヤフーの一種とされる。ガリヴァーが観察したところでは、大昔この国に来た人間(しかもイギリス人)が姿を変えたものであるらしい。なお、ヤフーは現代の英語でも「粗野な人」という意味で使われるが、今をときめくポータルサイト YAHOO は、その創始者のジェリー=ヤンとデビット=ファイロによると、自分たちは「ならずもの」という意味を掛けて命名したと言っている。
また、宮崎駿のアニメ『天空の城ラピュタ』は、話の内容は違うが、その発想は『ガリヴァー旅行記』の飛島ラピュタからとったという。

Episode ガリヴァーの日本渡航

 この物語は1699年から1715年にかけての4回の航海での体験談となっているが、その第3回の帰路、ガリヴァーが日本に渡航する話が出てくる(第3編第11章)。ザモスキ(観音崎?)というところに上陸してエドに向かい、皇帝(つまり将軍)にラグナグ国王の親書を提出する。彼は日本がオランダとだけ貿易をしていることを知っていたので、オランダ人と偽って入国した。そして「あの十字架踏みの儀式」(つまり踏絵)だけは免除していただきたいと願い出る。皇帝は、そんなことを願うのは初めてだ、といっていぶかるが、ラグナグ国の特使であることからその願いを許し、護衛をつけてナンガサク(長崎)まで送り届けてくれた。1709年、そこからアンボイナ号というオランダ船にのってアムステルダムに向かう。『ガリヴァー旅行記』の中では珍しく実在する国として日本が登場し、記述は短いが、鎖国下の日本に対するイギリス人の知識のほどを知ることができる。 → キリスト教の禁止(日本)
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ノートの参照
9章3節 エ.成長する市民と文化
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スウィフト/中野好夫訳
『ガリヴァー旅行記』
新潮文庫