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北ドイツ連邦

1867年、ビスマルクが主導するプロイセンを中心に結成された連邦国家。オーストリアは除外され、ドイツ連邦は解体。後のドイツ帝国の前身となる。

1867年にビスマルクの主導によって結成された、プロイセンを盟主とし、北ドイツの22の諸邦が参加した連邦。前年66年の普墺戦争(プロイセン=オーストリア戦争)においてプロイセンが勝利を収めたことによって、ウィーン議定書以来のドイツ連邦(オーストリアを盟主としたドイツの君主と自由市の連邦)が解体したたため、それに代わって結成された。これにより、オーストリアを排除する形でドイツ統一が進むこととなった。 → ドイツ
 22邦からなる北ドイツ連邦は、プロイセン国王を連邦主席とし、連邦宰相が行政権を持ち、諸邦代表からなる連邦参議院と国民代表の連邦議会からなる連邦国会をもっていた。これらはいずれも基本的には次のドイツ帝国に継承される。

ドイツの北と南

 北ドイツとはマイン川以北を示し、南ドイツ4カ国(バイエルン、ヴュルテンベルク、バーデン、ヘッセン=ダルムシュタット)はそれぞれ独立した国として残った。南ドイツはプロイセンなど北ドイツと異なり、カトリックが優勢であること、親オーストリア的であったことなどから、ビスマルクは強引に引き込むことを避けたようである。南ドイツ諸国は別に「南ドイツ連邦」を結成することになっていたが、結局結成されず、攻守同盟や関税同盟という形で個別にプロイセンとの関係を強め、やがて共通の敵としてフランスと戦うという普仏戦争を経て、プロイセンに従属して、1871年のドイツ帝国の成立をみることとなる。
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ノートの参照
第12章2節 カ.ドイツの統一