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メーデー

1886年、シカゴで第1回が開催された労働者の祭典。

 5月1日を労働者の祭典メーデーとするのは、1886年、アメリカのシカゴで8時間労働を要求する労働者の大集会が開催されたのが始まりである。その後の5月4日に同じシカゴのヘイマーケット広場で労働者と警官隊の衝突事件が起き、労働者4人が証拠もないままに乱闘の首謀者とされて死刑になった(ヘイマーケット事件)。労働者側はそのことを忘れないように、直前に大集会が行われた5月1日を労働者の日として毎年集会を開くことにした。なお、同年12月にはアメリカ労働総同盟が結成されており、労働組合運動では画期的な年となった。
 メーデーはその後、1889年の第2インターナショナルの発足大会で、8時間労働の実現を世界的に訴える示威行動の日として定められ、ヨーロッパでも行われるようになり、国際労働運動の象徴的な行事となった。
 その後、欧米各国でメーデーの集会がもたれるようになったが、第一次世界大戦中のロシア革命の成功の影響を受け、各国の労働運動・社会主義運動が高まると、その活動も活発となった。大きな転機を迎えたのは、世界恐慌後にファシズムが台頭し、労働組合運動が敵視されるようになったことであり、特にドイツでは、1933年に成立したヒトラー内閣のもとで、同年のメーデーは「国民労働の日」というナチス=ドイツの国家的祝祭日に変質させられ、翌日には労働組合が解散させられて全国的御用組合であるドイツ労働戦線に組み込まれるという受難の時期となった。
 日本では1920(大正9)年5月2日、上野公園で1万人が参加して開催されたのが最初のメーデーだった。それも1935(昭和10)年を最後に、戦前の軍国主義かでは開催することが出来ず、戦後は1946(昭和21)年に復活した。5月19日には皇居前広場で25万人が集まり、いわゆる「食料メーデー」が開催された。サンフランシスコ講和会議条約発効直後の1952年5月1日にはメーデー集会が暴徒化したとして警察が過剰な警備を行う「メーデー事件」が起きている。 
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第12章2節 ケ.国際的諸運動の進展