印刷 | 通常画面に戻る |

マルコーニ

イタリア人発明家で、1895年に無線電信を発明、1901年には大西洋横断無線通信に成功した。これによって無線通信が実用化され、20世紀の通信革命の発端を作った。

 マルコーニ Guglielmo Marconi 1874~1937 は、イタリアの電気技術者、発明家で、ドイツの科学者ヘルツが電磁波を発見したのを受け、無線電信の可能性を着想し、1895年に実験を成功させた。1901年には大西洋横断無線通信に成功し、一躍世界の無線通信時代の幕を開いた。1909年にノーベル物理学賞を受賞。1929年にはムッソリーニによって貴族に列せられた。

大西洋横断無線通信に成功

 1901年12月12日、マルコーニはカナダ・ニューファンドランド島にあるセントジョンズの崖の上に立つ小屋で、イングランドのコーンウォール地方ポルデューからの信号を待っていた。次はそのときの手記の一節。
(引用)正午の少し前から、私は片耳にイヤホンを付けて待機していた。目の前の小さなテーブルに載った受信機は、粗末なものだった。数個のコイルとコンデンサー、それにコヒーラー(検波器)を一つ使ってあるだけで、バルブもアンプも、鉱石さえも使われていない。だが私はこれで、自分の考えが正しいかどうかを試そうとしていた。答が聞こえたのは、12時半だった。かすかにではあるが、間違いなく「ピッピッピッ」と聞こえた。私はイヤホンをケンプに手渡して、訪ねた。
「何か聞こえるか」
「はい、いまのはSです」
 彼にも聞こえたのである。これで私は、自分の理論が正しかったことが分かった。ポルデューから宙に放たれた電波が、大西洋を渡ってきた。約2700キロという途方もない距離だが、地球の丸みも障害にならなかった。(中略)私はいま、こう確信しはじめている。大西洋の両端の間ばかりでなく、地球の果てから果てまで、人類が電線を使わずにメッセージを送れる日が必ずやって来る、と。<ジョン・ケアリー編・仙名紀訳『歴史の目撃者』1997 朝日新聞社 p.250>

Episode 学歴なしでも大発明

 グリエルモ=マルコーニ(1874-1937)は「イタリアの貴族の家に生まれ、なに不自由なく育った。さぞかし立派な学校へ行き、いい環境で勉強したのだろう、と思うとそうではなく、彼は学校に入ったことがなかった。」父はボローニャの銀行家、母はアイルランドの富豪の出で、1888年夏、この金持ち一家はアルプスで避暑をしていた。そこで14歳のグリエルモ少年は、たまたま科学雑誌に載っていたヘルツが電磁波の存在を証明したという記事を読み、電線が無くとも通信ができるのではないかと考えた。それはヘルツ自身も気がついていない天才的な着想だった。彼は家庭教師役のボローニャ大学ケーギ教授に助けてもらいながら電波発信装置と受信機の製作に没頭し、21歳の時に実験を成功させ、翌年イギリスに渡り無線通信の特許を取った。両親の出資で会社を作り、27歳の時には当時不可能と考えられていた大西洋横断無線通信を、受信用アンテナの代わりに凧を使って成功させ、脅威の発明として歓迎された。無線通信は貿易などのビジネス、海難救助などで不可欠のものとして彼の会社は大発展する。1912年のタイタニック号の遭難でも、無線通信によって現場に急行した船によって700人以上が救助されて、その重要性は一層強く認識されるようになった。学歴はなかったが資金はあったマルコーニの創造的な発想が、現代の世界の隅々を電波が覆う、「情報化時代」を産みだしたのだった。<上前淳一郎『読むクスリ PART10』1988 文春文庫 p.32-36>
印 刷
印刷画面へ
書籍案内

ジョン・ケアリー編
/仙名紀訳
『歴史の目撃者』
1997 朝日新聞社