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セリム3世

18世紀末、オスマン帝国の近代化を図ったスルタン。西洋式軍隊の創設などを行ったが保守派に殺害された。

オスマン帝国の危機に際して、上からの近代化に乗り出したスルタン(在位1789~1807)。ロシアとの戦争(広い意味でのロシア=トルコ戦争)の敗北を受けて、1793年、はじめて西洋式の軍隊「ニザーム=ジェディット」(新しい制度の意味)を創設した。また92年、はじめてヨーロッパ各国に常設の大使館を開設した。
 しかし、セリム3世の時代は外交面で多難であった。1798年にナポレオンのエジプト出兵にともなう混乱からエジプトでムハンマド=アリーが台頭、セリム3世もやむなく彼をエジプト総督に任命した。アラビア半島ではイスラーム原理主義運動であるワッハーブ派がメッカを占領(1803年、07年)した。バルカン半島ではロシアの進出が続き、セルビア人の独立運動も激しくなった。このような情勢で、守旧勢力であるイェニチェリや聖職者(ウラマー)はセリム3世の改革に反発を強め、セリム3世に迫って新式軍を廃止させ、1807年には廃位させることに成功した。退位したセリム3世はさらに革新派と保守派の争いによって幽閉中に殺害された。

Episode もう一つの1789年

(引用)フランス革命の勃発した翌日の1789年7月15日、当時のイスラーム世界の中心都市イスタンブルでは、オスマン帝国の第28代君主となるセリム3世の即位を祝し、フランス大使をはじめ西欧各国大使のオスマン帝国政府への表敬訪問がおこなわれていた。セリム3世は、かつて西欧キリスト教世界を圧倒したイスラーム世界が、新しい力をもって急速に台頭した近代西欧の圧迫下におちいったことを正面から認めた。彼は、近代西欧モデルの体系的受容による「西欧化」改革を大々的に着手した、イスラーム世界で最初の支配者であったのである。・・・その意味で、フランス革命の年でもある1789年は、イスラーム世界においては、体系的な「西洋化」による「近代化」の試みの始点として、重要な意味を持つのである。<鈴木董『新書イスラームの世界史3 イスラーム復興はなるか』1993 講談社現代新書 p.20-21>
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ノートの参照
第13章1節 ウ.オスマン帝国の改革
書籍案内

坂本勉・鈴木董編
『新書イスラームの世界史3 イスラーム復興はなるか』
1993 講談社現代新書