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イェニチェリ

オスマン帝国で征服地のキリスト教徒から徴兵された新軍団。歩兵であるが鉄砲で武装し、皇帝直属軍として帝国の軍事行動の中心となって活動した。次第に政治勢力化し、改革の障害ともなった。

イエニチェリ
イエニチェリの行進 鉄砲を所持している
 オスマン帝国の最も有名な常備軍である親衛隊。イェニチェリとは「新しい兵士」の意味。14世紀後半のムラト1世にさかのぼり、鉄砲を持つ歩兵の精鋭部隊で、そろいの軍服を着ている。イェニチェリ兵になる人材は、三年から数年に一度不定期に実施されるデウシルメとよばれる強制徴用で供給された。特徴は主にバルカン半島の、トルコ人以外のキリスト教徒の子弟から徴用されたことである。彼らはスルタンの奴隷(カプクル)とされ、スルタンから俸給が支給され、少数精鋭であったのでエリート意識が強く、スルタンの戦争では常に中心となって戦った。なお、奴隷が構成する軍隊はイェニチェリ軍団だけではなく、騎馬隊や砲兵隊もあった。特に16世紀後半から、ティマール制によるトルコ系騎士(シパーヒー)の没落に代わり、イェニチェリ軍団などの奴隷部隊による常備軍がオスマン帝国軍の中核となっていった。<林佳世子『オスマン帝国の時代』世界史リブレット19 山川出版社 p.40>
イェニチェリ鉄砲部隊の活躍 オスマン帝国のイェニチェリ軍団の鉄砲が威力を発揮した戦いが、1514年のサファヴィー朝キジルバシュを撃破したチャルディランの戦いであった。キジルバシュはトルコ系遊牧民からなる騎兵部隊で、当寺最強の機動力を持って恐れられていたが、オスマン帝国のセリム1世はイェニチェリ軍団の歩兵に鉄砲を持たせ、その進撃を阻止し、戦いを勝利に導いた。同様の戦術は60年後の日本で、織田信長が武田の騎馬隊を破った長篠の戦い(1575年)でも見ることができる。
 イェニチェリは、鉄砲で武装した鉄砲隊だけでなく、大砲を引く砲兵隊、城塞を攻略する工兵隊、全軍を鼓舞する軍楽隊を擁し、しかも封建領主に従う私兵ではなく皇帝直属軍であるという、近代軍隊としてはヨーロッパ主権国家の軍隊に先駆ける軍隊であった。
 → セリム3世の改革、ニザーム=ジェディット  イェニチェリの廃止

イェニチェリの全廃

1826年、オスマン帝国でマフムト2世が行った軍隊の近代化のための措置。

イェニチェリはオスマン帝国の常備歩兵軍団であり、かつてはスルタンの強力な親衛隊としてヨーロッパの恐怖の的であった。しかし17世紀以降は軍紀が乱れ、無頼集団と化し、しばしば暴動を起こすようになった。しかも既得権化した利益を求めて縁故でイエニチェリになるものも増え、軍隊としては弱体化した。18世紀ごろからイエニチェリに代わってロシアなどの外敵と戦ったのは、地方名望家層であるアーヤーンが負担した軍役であった。
 オスマン帝国では軍隊の近代化が急務と考えられるようになり、セリム3世は新たに西洋式軍隊(ニザーム=ジェディット)を創設するなどの近代化政策を進めたが、イエニチェリはそれに強く反発し、1807年にはセリム3世を廃位するなど、近代化の障害となっていた。 → オスマン帝国の危機

イエニチェリの反抗

 次のスルタンのマフムト2世は1826年5月、イェニチェリの全廃、新式軍の再編成を命じた。イェニチェリは古いしきたりに従い、兵営で各部隊のシンボルでもあるスープ用の大鍋をくつがえして並べ、不服従の意を表明し、決起した。マフムト2世は預言者ムハンマドの用いたオスマン朝伝来の聖なる軍旗を立て、イスラーム法学者を集めてイェニチェリ討伐は聖遷であることを宣言させた。さらにイスタンブルの民衆に戦うことをよびかけ、武器を配布した。民衆は、特権集団化して横暴な振る舞いの多かったイェニチェリに反感を抱いていたので、マフムト2世を支持した。イスタンブルでの戦闘は、新式軍を動員し大砲と火器を擁するメフメト2世側があっけないほど短時間で反乱軍を圧倒した。こうして建国以来のオスマン帝国のシンボルのひとつであったイェニチェリ軍団は壊滅した。<鈴木董『新書イスラームの世界史3 イスラーム復興はなるか』1993 講談社現代新書 p.29-30>

Episode 大鍋をひっくりかえしたイェニチェリ

 マフムト2世の解散命令に抵抗したイェニチェリは、スープ用の大鍋をひっくりかえして、それを兵営に並べた。この仕草はイェニチェリが不平不満を公然と表す際の慣行である。俸給の支払いに対して満足したときは大鍋のスープを飲みピラフを賞味するが、不満なときはこのスープを飲むことを拒否し、もっと不平不満がつのると「飲めるものか」と大鍋をひっくり返すこと行われていた。トルコ語では「大鍋をひっくりかえす」といえば、反乱を起こすことを意味した。しかしこのときはマフムト2世は断固としてイェニチェリ全廃を決意し、重砲を用意し、ムハンマド伝来とされる聖なる軍旗を掲げて威圧し、半時間ほどで反乱を鎮圧、イェニチェリはあえなく最後を迎えた。<山内昌之『イスラームと国際政治-歴史から読む-』 1998 岩波新書 p.194>
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ノートの参照
7章3節 トルコ・イラン世界の展開
第13章1節 ウ.オスマン帝国の改革
書籍案内

林佳世子
『オスマン帝国の時代』
1997 世界史リブレット 山川出版社

坂本勉・鈴木董編
『新書イスラームの世界史3 イスラーム復興はなるか』
1993 講談社現代新書

山内昌之
『イスラームと国際政治』
1998 岩波新書