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オレンジ自由国

南アフリカでオランダ系白人入植者のブール人がケープ植民地から北上して建国した。南ア戦争でイギリスに征服され、南アフリカ連邦に組み込まれた。

南アフリカに建国されたトランスヴァール共和国と同じく、ブール人がケープ植民地でのイギリス人の抑圧から逃れて北方に移動した、グレート=トレックによって1854年に建国した国。現在の南アフリカ共和国とナミビアの国境を流れるオレンジ川の上流、ドレケンスバーグ山脈の西側の一帯。

アフリカ人王国を滅ぼす

が、それによって土地を奪われたアフリカ現地のバスト人のバスト王国の激しい抵抗を受けた。バスト国王のモシェシュは、1858年、オレンジ自由国軍をタバ・ボシュの要塞で撃退し、いったん講和に持ち込んだ。1865~65年、オレンジ自由国は再びバスト王国に攻撃を仕掛け、このときはバスト側は兵力では圧倒したが武器の優劣の差が大きく、モシェシュの息子が単独でバスト王国の土地を割譲する講和に応じ、抵抗は終わった。

金鉱の発見とブール戦争

 1867年、オレンジ自由国のグリンカ=ウェスト地方のキンバリーでダイヤモンド鉱が発見された。イギリスは、1871年、金鉱の独占を図り、グリンカ=ウェストを併合してしまった。さらに、1877年にイギリスはトランスヴァール共和国も併合し、ブール人国家を消滅させようとした。トランスヴァールでは独立回復をめざして、1890年からイギリスとの戦闘を開始(第一次ブール戦争)、オレンジ自由国もそれを支援した。この戦いはいったん講和したが、その後もケープ植民地政府の首相セシル=ローズは帝国主義的領土拡張を強力に進め、事態は緊迫した。1896年、セシル=ローズは強引な侵略政策が国内で批判されて失脚したが、1899年、本国の植民地相ジョゼフ=チェンバレンは、ブール人問題の軍事的解決を図り、南アフリカ戦争(ボーア戦争、ブール戦争)に踏み切った。
 1902年、戦争は終結し、オレンジ自由国は消滅し、この地はオレンジ川流域植民地としてイギリス帝国領に編入された。その後、1910年にイギリスは、ケープ植民地・ナタール・トランスヴァール・オレンジの4州からなる南アフリカ連邦をイギリス帝国の自治領として発足させた。
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ノートの参照
第14章2節 ア.アフリカの植民地化
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岡倉登志
『ボーア戦争―金とダイヤと帝国主義』
1980年 教育社歴史新書―西洋史