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東アフリカ植民地(ドイツ)

1880年代にドイツが獲得した、現在のタンザニア、ルワンダなどに当たる広大な植民地。第一次世界大戦の結果、放棄した。

 ドイツは、1880年代に、ビスマルクの時代、列強のアフリカ分割に加わり、アフリカ進出に乗りだした。東アフリカでは、1886年、イギリス・フランスとともにザンジバルの分割に参加し、タンガニーカ(現タンザニア)を獲得したほか、ルワンダ、ブルンジ一帯に広がる地域に及ぶドイツ領東アフリカ植民地とした。
 1905年7月~07年8月にかけて、ドイツの植民地支配に対してアフリカ原住民はマジマジ反乱といわれる激しい抵抗をおこなっている。

Episode ドイツ人が持ち帰ったアフリカの花

 セントポーリアという花があります。可憐な紫色の花の英語名は、African Violet 。この花は、もともとタンザニアの山地の岩陰で自生していたイワタバコ科の植物です。そしてセントポーリアという名は、ドイツの男爵セントポールに因んでおり、1891年、ドイツ領東アフリカの地方長官として派遣された男爵が初めて採集したのだそうです。この可憐な花に、ドイツの東アフリカ植民地支配の歴史が秘められていたわけです。<湯浅浩史『花おりおり②』2002 朝日新聞社 p.108>
 セントポール男爵という人物がどのような経緯でこの花を見つけたのかはまだ調べがついていません。
 この話は『花おりおり②』という小さな本で見つけたのですが、同書にはポインセチアの名の由来も記されていました。こちらはアメリカの初代駐メキシコ大使ポインセットという人物に因んでおり、やはり彼がメキシコから持ち帰ったのだそうです。花の名前に植民地支配の歴史あり、といったところです。<湯浅浩史『同上』p.84>
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