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ルワンダ内戦

1990年代前半、ルワンダ内のフツ族とツチ族の民族対立から深刻な内戦となった。

 ルワンダはアフリカ中央部にある小国。フツ族とツチ族の部族対立から1990年~94年に内戦となった。特に1994年には、フツ族民兵によるツチ族に対する大量虐殺が行われ、100万人の犠牲という、アフリカ史上最悪といわれる事態となった。現在はNGOによる国際支援活動により、安定を回復しつつある。

ルワンダ紛争の背景

 アフリカ分割が進む中、ルワンダは第一次世界大戦まではドイツの植民地であった。大戦後、ベルギーの委任統治領とされたが、ベルギーは植民地支配を行うようになった。その際、ベルギー当局は、現地の住民をフツとツチに分けその対立を利用した。フツもツチも、同じ言葉を喋り、同じ宗教を信じ、結婚もしていたが、ベルギーは外観の違いから人種として区別、平らな鼻と厚い唇、四角い顎をものをフツ、薄めの肌に細い鼻、薄い唇に尖った顎ものをツチに分け、人種が記されたIDカードまで発行し、小学生にまで人種差別の思想を植え付け、少数派のツチを経済的にも教育的にも優遇して役人などに登用し、多数派のフツを支配させた。

独立と内戦

 ルワンダは1962年にツチを中心とした国家として独立した。しかし、フツを中心とする勢力が1973年にクーデターを起こし、逆にフツがツチを支配することになり、ツチはルワンダ愛国戦線(RPF)を組織して、隣国のウガンダを拠点に反政府運動を活発化させることになった。

大虐殺の始まり

 1990年10月にはRPFがルワンダ北部に侵攻し、内戦が勃発。1993年8月にアルーシャ協定が結ばれ、和平合意に至ったものの、1994年4月6日にフツのハビャリマナ大統領を乗せた飛行機が何者かに撃墜されたことに端を発して、フツによるツチの大量虐殺(ジェノサイド)が始まった。一説には約100日間で国民の10人に1人、少なくとも80万~100万人が虐殺されたとされる。

国連のPKF活動

 国連はルワンダ虐殺に対し平和維持軍(PKF)を派遣したが、前年のソマリアでの国連平和維持軍が失敗したことを受けて、その活動は積極的ではなかった。国連やアメリカが人道的介入を避け、国際的な対処が遅れたことが被害を拡大したと言う見方が強い。なお、日本の自衛隊も、ルワンダ難民救援国際平和協力業務として、1994年9月21日~12月28日、先遣隊23名、難民救援隊260名、空輸派遣隊118名を近隣国に派遣した。

内乱の終結とコンゴ情勢の悪化

 1994年7月にRPFが全土を完全制圧し、新政権が発足して紛争は終結した。現在は特別法廷で虐殺に関与した人物に対する裁判が進行しているが、フツ族の民兵の多くは隣国のコンゴなどに逃亡している。コンゴに逃れたフツ系民兵は新たにルワンダ解放民主軍(FDLR)を組織して再武装し、ツチ系難民の組織した人民防衛国民会議(CNDP)とコンゴ領内で戦闘を続けている。コンゴ住民にも被害が及んでおり、2009年3月にはルワンダ・コンゴ両政府がFDRLの掃討作戦に乗りだし、ルワンダ難民にはルワンダへの帰還の呼びかけを強めているという。<朝日新聞 09.3.12朝刊>

Episode 映画『ホテル・ルワンダ』

 2006年に公開された映画『ホテル・ルワンダ』は、ルワンダ内戦のとき、首都キガリのホテル・ミルコリンで、フツ族民兵に追われてホテルに逃げ込んだ1200人ものツチ族を助けたホテルの現地支配人を主人公に、この大虐殺を描いた作品である。主演のドン=チードルが熱演する支配人ポールはフツ族だが、彼の妻はツチ族。からの家族愛と勇気、そして政府軍の将軍を賄賂を使って危機を乗り切るなどの機転が多くのツチ族を救った実話である。また国連のPKF部隊が治安を維持できない、歯がゆさがよく描かれている。この虐殺を風化させないためにも、多くの人にみてもらいたい映画である。現在、DVD化されている。監督テりー=ジョージ。
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DVD案内

『ホテル・ルワンダ』
監督テリー=ジョージ
主演ドン=チードル