印刷 | 通常画面に戻る |

大韓民国臨時政府

1919年、三・一独立運動の直後に上海で結成された朝鮮独立運動の組織。1941年9月には日本に対して宣戦布告した。しかし、戦後、南北分断の中でアメリカ軍によって解体された。

 1919年4月11日、三・一独立運動の直後に、朝鮮独立をめざす朝鮮人が上海のフランス租界で結成、初代大統領には李承晩を選出した。パリ講和会議で独立政権であることを訴えたが承認されず、国際連盟にも加盟は認められなかった。臨時政府指導者は、各国に承認を要請したが、応じたのはソ連政府のみであり、国際的な広がりを持つことはなかった。
 1925年からは独立運動家の金九が国務総理として指導に当たった。1932年に上海事変(第1次)が勃発した直後の4月に、金九は天長節(天皇誕生日)の祝賀会場で爆弾テロを起こし、日本の白川義則大将らを殺傷した。それを機に上海の朝鮮独立運動に対する弾圧が強まり大韓民国臨時政府の活動は押さえられた。しかしこの間、李承晩は本拠をアメリカに移して活動を続け、金九は中国国内で韓国独立党の結成などを続けた。

日本に宣戦

 1933年には国民政府の蔣介石との間で対日戦での協力を結んでいる。1937年、日中戦争が始まると、国民党軍と行動を共にし、蔣介石が重慶に移ると大韓民国臨時政府も同行した。日本の植民地支配下での亡命独立政権として存続した大韓民国臨時政府は、日本の真珠湾攻撃、日米開戦の事態を迎え、1941年12月9日、日本に対する戦争を宣言した。大韓民国の亡命政権として、日本との戦争状態にあることを宣言したことになる。
 日本敗戦後、李承晩と金九の二人の指導者は祖国に帰って活動を継続したが、朝鮮の分断が進むと、朝鮮南部に進駐したアメリカ軍によって臨時政府は解散させられ、アメリカは李承晩を支援して南部だけを1948年8月15日に大韓民国として独立させ、李承晩は初代大統領に選出された。アメリカに抵抗して自立路線をとった金九は1949年に暗殺された。
印 刷
印刷画面へ