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朝鮮の分断

第二次世界大戦の終結により、日本の植民地支配が終わった朝鮮は、南北が分断され、統一国家の回復ができなかった。

 1945年8月15日、第二次世界大戦・太平洋戦争の終結、日本の敗北によって朝鮮は独立を回復し、35年に及んだ日本の朝鮮植民地支配が終わり、人々は解放を祝った。日本支配下で独立運動を続けていた呂運亨を中心に建国準備委員会が結成され、国号は「朝鮮人民共和国」を予定した。ところが直ちにアメリカとソ連の対立が朝鮮に持ち込まれ、民族分断国家となってしまった。

ソ連軍とアメリカ軍の進駐

 まずソ連は満州から北朝鮮の国境を越え、8月24日に平城に入った。あわてたアメリカはソ連に北緯38度線で分割占領することを提案、9月8日にマッカーサーが仁川に上陸し、朝鮮を米軍の軍政下に置く(日本と同じく)との布告を出した。カイロ宣言で「朝鮮は適当な時期に独立する」とされていたが、ヤルタ会談ではアメリカは「適当な時期」を20~30年間とし、その間は「信託統治領」とすると表明した。45年のモスクワでの米英ソ三国外相会議で、再調整された結果、5年間の信託統治とすることで合意された。このような大国の勝手な取り決めに、朝鮮の民衆が反発、激しい反信託運動が起こった。

済州島四・三事件

 朝鮮独立にかんする米ソ共同委員会が開かれたが、当時激しくなっていた中国の国民党と共産党の国共内戦の影響を受け決裂した。この間、北では抗日パルチザンで活躍した金日成が地歩をかため、社会主義改革に着手した。一方の南では米軍政のもとでインフレが進行し、ゼネストが起こり、1948年4月、済州島では民衆の武装蜂起が起き、多数の島民が米軍と右派に殺されるという済州島四・三事件が起きた。

分断国家の成立

 統一政府を作る努力は呂運亨らによって「南北協商会議」の開催がすすめられたが、彼は右派の李承晩の手先によって暗殺された。南のアメリカと李承晩は単独選挙を強行し、李承晩を大統領に選出し、48年8月15日に「大韓民国」を成立させ、アメリカは軍政を停止した。これに北が対抗し、全朝鮮最高人民会議の議員選挙を(南での秘密投票も含めて)実施し、憲法を制定して、9月9日に朝鮮民主主義人民共和国を樹立し、金日成が首相に就任した。

朝鮮戦争の勃発

 こうして朝鮮は北と南に別個の国家が成立し、北をソ連を中心とした社会主義陣営が支援し、南をアメリカなどの資本主義陣営が支援するという、東西冷戦の両陣営がにらみ合う最前線となった。翌1949年10月、中国の国共内戦が共産党の勝利に終わり、中華人民共和国が成立すると、金日成は朝鮮でも社会主義による統一を実現しようと決意したと思われる。それが、北野南への侵攻となって、1950年6月、朝鮮戦争が勃発する。
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ノートの参照
第16章1節 イ.ヨーロッパの東・西分断