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インド共産党

ローイを指導者として1925年に国内で正式な創立大会を開催した。コミンテルンに加盟した。

 インドの共産主義者マナベンドラ=ナート=ローイは1920年7月、モスクワで開催されたコミンテルン第2回大会に参加、直後の10月に中央アジアのタシケントでインドからの亡命共産主義者を集団によってインド共産党創立大会を開催した。国内でもガンディーの非暴力主義に飽き足りない青年が、新しいイデオロギーとしてマルクス主義・社会主義・共産主義を学び、その思想によるインド独立という新たな方向性を模索しはじめていた。
 1925年12月、カーンブルでサティヤ=バクターなどによって正式にインド共産党創立大会が開催され、モスクワのローイも参加した。1928年には、ベンガル・ボンベイ・などに労働者農民党(全インド労農党ともいう)を組織し、国民会議派とも共闘しながら独立運動を続けた。その後ローイはコミンテルン代表として中国に渡り、国共合作の工作にあたったが、27年に蔣介石の上海クーデタによって国共合作が崩壊して中国共産党弾圧が始まるとスターリンらコミンテルン指導部と対立し、29年に除名された。翌30年にインドに戻った。その間、1934~43年の間はインド共産党は非合法化された。戦後は武装闘争路線から議会主義路線に転換したが、中ソ論争を機にインド共産党(CPI)とインド共産党マルクス主義派(CPIM)に分裂した。
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ノートの参照
第15章3節 エ.インドでの民族運動の展開