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スムート=ホーレー法

フーヴァー政権下の恐慌対策で、高関税によって国内産業を保護しようとした政策。

 1930年6月、世界恐慌下のアメリカ合衆国でフーヴァー大統領によって制定された、高関税政策立法。国内産業を保護して高賃金を維持することによって恐慌の克服をめざしたものであったが、対抗上、各国も一斉に高関税に転じることになって、世界恐慌をさらに拡大するという逆効果に終わった。
 フーヴァー大統領は大戦後まもなくから明らかになっていた農産物の下落を止めるため、外国からの農作物輸入を制限する高関税政策を検討していた。1929年に世界恐慌が始まると、議会内にも保護主義が台頭し、上院のスムート議員と下院のホーリー議員が連名で農産物のみ成らず工業製品にも高関税を課す法案を提出した。その法案が議会を通過するとただちに大統領は署名した。
 このような保護貿易主義は世界経済全体から見ればマイナスであり、恐慌対策としては逆効果であると主張する1000名以上の経済学者が大統領に署名しないよう警告したが、フーヴァーはそれを無視して署名し、1930年6月に同法は成立した。これによって3300品目のうち890品目の関税が引き上げられ、アメリカの輸入関税は平均33%から40%となった。オランダ、ベルギー、フランス、スペインおよびイギリスは直ちに報復的関税措置を発表した。
 結果としてアメリカへの輸出の門戸を閉ざされたヨーロッパ経済の危機が醸成され、ドイツの銀行制度の崩壊となった。一面で31年春にはアメリカの生産と雇用は工場の兆しを見せたので、フーヴァーは保護主義が正しかったと主張し、アメリカを恐慌に陥れたのは軍事支出を増大させて財政均衡を失ったヨーロッパ各国の政策が原因であると後に述べている。1932年の大統領選挙ではフランクリン=ローズヴェルトはフーヴァーの高関税政策を厳しく批判し、選挙戦で勝利することとなった。<林敏彦『大恐慌のアメリカ』1988 岩波新書 p.89-91>

F=ローズヴェルト政権での経済ナショナリズムの修正

 次期大統領F=ローズヴェルトのもとでニューディール政策が始まると、国務長官となったコーデル=ハルの努力により、1934年6月に互恵通商協定法が成立して、経済ナショナリズムを修正し、多角的、互恵的な貿易関係を復活させた。1936年にはイギリス・フランスとの三国通貨協定、38年に米英通商協定を制定し、続いて39ヵ国との協定を締結した。1939年にはその流れで中立法を制定し、イギリスに対する財政的・軍事的支援を決めた。共和党はこの時点でも高関税政策を標榜したため、輸出不振に悩む産業界の支持を失い、ローズヴェルトの再選を許すこととなった。<秋元英一『世界大恐慌』1999 講談社学術文庫 p.229-230>
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ノートの参照
第15章4節 ア.世界恐慌とその影響
書籍案内

林敏彦
『大恐慌のアメリカ』
1988 岩波新書

秋元英一
『世界大恐慌』
1999 講談社学術文庫