印刷 | 通常画面に戻る |

メーメル地方

1939年3月、ナチス=ドイツが軍事占領し併合した、リトアニアのバルト海に面した地域。

 メーメル地方とは、現在のリトアニアのバルト海に面した地域で、リトアニア唯一の外港であるメーメル(ドイツ語の表記。現在はリトアニア語でクライペダと改称されている)がある。メーメルは1252年にドイツ騎士団が建設した町で、ドイツ人が多い。ドイツ人は16世紀にプロイセンを建国しこの地も領有した。ナポレオン戦争の時にはプロイセン王はメーメルに居住した。
 第一次世界大戦後、リトアニアが独立(1923年)し、その領土となったが、ドイツ人住民のドイツ復帰要求が強く、ヒトラーはそれを利用して1939年3月、メーメル地方を軍事占領し、併合した。ヒトラーはメーメルはダンツィヒと同じくドイツ人が多く居住し、本来はドイツ民族の領有すべき地域であり、ナチ党の掲げる第一次世界大戦前のドイツ帝国の領土を回復したことを実績とする意図があった。またこれによってポーランドの北方を押さえる。なおこの地域は第二次世界大戦後、再びリトアニア領となり、現在に至っている。<志摩園子『物語バルト三国の歴史』2004 中公新書p.178,p.255> 
印 刷
印刷画面へ