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チェコスロヴァキア解体

1938年、ナチス=ドイツはズデーテンを割譲させ、翌年3月、残りのチェコスロヴァキアを分割、ベーメン地方を保護領、スロヴァキアを独立国とした。

 ヒトラーのナチス=ドイツはミュンヘン会議で締結されたミュンヘン協定により、ズデーテン地方の併合を認められたが、さらにチェコスロヴァキア本土に迫り、1939年3月、その西半分のチェック人居住地であるベーメン(ボヘミア)モラヴィア(メーレン)をドイツの保護領とし、東半分のスロヴァキア人居住地は独立を認めた。独立は名ばかりで実質的にはドイツに従属した。こうしてチェコスロヴァキアは解体された上で、ドイツの実質支配を受けることとなった。

亡命政府の対ドイツ闘争

 1940年、ベネシュを大統領とする亡命政府が結成され、ベネシュは連合国の承認を取り付けた。同時に戦後はソ連との関係が重要になると判断して、1943年12月に訪ソし、ソ連=チェコスロヴァキア友好協力相互援助条約を締結した。占領下のチェコスロヴァキアでも共産党系と亡命政府系が協力して対ドイツ抵抗闘争を戦い、44年8~10月にはスロヴァキア国民蜂起が起こり、プラハでもゲリラ戦が続いた。 → 第二次世界大戦後のチェコスロヴァキア
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ノートの参照
第15章5節 ア.ナチス=ドイツの侵略と開戦