印刷 | 通常画面に戻る |

ドイツ騎士団

ドイツ諸侯の保護で作られた宗教騎士団。後のプロイセンにつながる。

中世ヨーロッパの宗教騎士団の一つ。1190年、第3回十字軍の時、リューベックとブレーメンの商人が建てた病院が起源で、ドイツ諸侯が保護して発展させ、1199年、教皇の承認を受け宗教騎士団となった。

ドイツ騎士団領の成立

 1291年、十字軍の最後の拠点アッコンが陥落し、ドイツに帰国。ドイツを本拠として、バルト海沿岸のスラヴ人居住地域に対する東方植民を展開し、バルト海沿岸のプロイセン人(スラヴ系)居住地に進出し、征服してドイツ人の国家「ドイツ騎士団領」を作った。ドイツ騎士団領の領域は現在のポーランド北部から、バルト三国に及ぶ、バルト海南東岸一帯に拡がった。
 このようなドイツ騎士団の東方進出は、当時大国であったリトアニアとポーランドに大きな脅威を与え、両国はそれに対抗するために1386年に合同して、リトアニア=ポーランド王国となった。1410年にドイツ騎士団は、ヤゲウォの指揮するリトアニア=ポーランド王国軍とタンネンベルクの戦い(グルンヴァルドの戦い)で敗れ、東進を阻まれた。さらに1454~66年のポーランド=リトアニア王国との十三年戦争で敗れ、バルト海への出口グダンスク(ドイツ名ダンツィヒ)を奪われた。
 なお、タンネンベルクは、現在のポーランドのワルシャワ北方にあり、1914年の第一次世界大戦でドイツ軍がロシア軍に大勝した場所でもある。
 16世紀には騎士団長のホーエンツォレルン家がプロテスタントのルター派に改宗した。その間もたびたびポーランドと戦ったが相次いで敗れ、1525年にポーランド王を封主とするプロイセン公国となる。
 このプロイセン公国が、1701年、ブランデンブルク辺境伯領と合体し、1701年にはプロイセン王国に昇格する。
印 刷
印刷画面へ
ノートの参照
第6章3節 ア.十字軍とその影響