印刷 | 通常画面に戻る |

カーダール

1960年代~80年代の社会主義国ハンガリーの指導者。ソ連から距離を置き独自の経済改革路線を採る。

 ハンガリーの社会主義労働者党(共産党)指導者。ハンガリー反ソ暴動ではソ連に協力して暴動鎮圧に当たったが、その後1960~80年代のハンガリーで長期政権を維持し、1960年代からは経済改革路線をとるようになり、民主化の前提を作った。
 カダルとも表記。第二次世界大戦中のドイツに対する抵抗運動に加わり、戦後の1948年に内相となるが、スターリン体制が席捲する中で1951年には「ティトー主義者」と批判されて逮捕され、終身刑の判決を受ける。スターリン死後の54年に復権し、56年のナジ=イムレ政権には当初協力したが、ハンガリー反ソ暴動が始まると国外に出て、反ナジの立場をとり、ソ連の後援を受けて社会主義労働者党を新たに組織し、権力を握った。当初は暴動参加者に対する激しい弾圧を行い、親ソ路線を明確にしていたが、次第に中道路線をとるようになり、1960年代からは経済改革に着手、市場経済導入をはかった。1988年に引退し、その翌年に民主化が実現した。

カーダールの転身

 カーダールはワルシャワ条約機構残留など当初は親ソ路線をとっていたが、次第に国内改革に目を向けるようになり、「敵でないものはすべて味方である」という相対的に寛大な政策を採用、改革派の経済学者などを登用して市場経済導入も含めた社会改革の検討に入った。その姿勢は国民の支持を受けて、1988年の引退まで権力の座を維持し、1989年の民主化への転換を準備したといえる。その点ではポーランドのゴムウカが反スターリン政策を掲げて当初は圧倒的な国民の支持を受けながら、次第に硬直化して国内の改革派を抑圧し、国民の批判を受けるにようになったのと対照的である。<木戸蓊『激動の東欧史』1990 中公新書 p.68> 
印 刷
印刷画面へ
ノートの参照
第16章4節 イ.米ソ両両大国の動揺
書籍案内

木戸蓊
『激動の東欧史』
1994 中公新書