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ナジ=イムレ

1956年のハンガリー反ソ暴動を指導した改革派政治家。ソ連によって処刑された。

 ナジが姓でイムレが名。ハンガリー人の人名表記は日本人と同じで姓-名の順である。西欧風にはイムレ=ナジと言われた。
 第一次世界大戦の時期からのハンガリー労働者党(共産党)党員で、大戦中はソ連に亡命、戦後帰国してハンガリーの共産化の中心となった。1953年に首相となったが、党内のスターリン主義者と対立、55年に解任された。

ハンガリー反ソ暴動

 1956年にポーランド反ソ暴動の影響を受けてハンガリー反ソ暴動が勃発すると、国民の支持を受けて首相に復帰し、複数政党制の導入などの改革を図り、ワルシャワ条約機構からの脱退とハンガリーの中立を表明した。ソ連は軍事介入して暴動を鎮圧し、改革撤回を迫り、拒否したナジは再び解任された。ナジはユーゴスラヴィアに亡命を図ったが、ソ連軍に捕らえられ、その後処刑されたと発表になった。

ナジ=イムレの復権

 1989年、民主化が進むハンガリーで、大々的な歴史の見直しが行われた。その最大の焦点は1956年のハンガリー反ソ暴動とそのときの指導者ナジ=イムレの評価だった。新政権は暴動を「大衆蜂起」と規定し、ナジ=イムレの有罪を取り消して、外部の干渉を排除し反革命のために戦ったと再評価、再埋葬を行うと決定した。ブダペストの無縁墓地に埋葬されていた遺体は発掘され、6月16日、市の中央の英雄広場で政府首脳、10万人の市民が集まる中、再埋葬式が行われた。<三浦元博、山崎博康『東欧革命』1992 岩波新書 p.63-65>
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ノートの参照
第16章2節 イ.ソ連の雪どけと平和共存政策